労働問題1044 横領・不正受給した社員が自主退職を申し出てきた場合の対処法
解説動画
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自主退職の申し出が来ても、絶対に気を緩めない 「やめてくれて良かった」と安堵した瞬間が最も危険。退職届・退職合意書を書面で確実に取ること、承諾の意思を速やかに書面またはメールで伝えることが先決。口頭の「やめます」だけでは後から撤回される |
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懲戒解雇の要否は退職日の2週間前までに判断しなければならない 退職が成立した後に懲戒解雇はできない。自主退職の申し出が来た段階で懲戒解雇するかどうかを速やかに弁護士と協議することが必要 |
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「示しがつかないから懲戒解雇」は最も危険なパターン 自主退職の申し出で気が緩み→「示しがつかない」と安易に懲戒解雇→裁判で懲戒解雇が無効→数百万〜1000万円超の支出というパターンが実際に起きている。懲戒解雇は法的な有効性の確信が持てる場合にのみ行う |
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「手打ち」という選択肢も合理的な判断になりうる やめてもらえれば合意退職で区切りをつけるという選択肢も、横領の内容・金額・事情次第では合理的。無理に懲戒解雇にこだわって裁判に発展するよりも、確実に退職させてすっきり終わらせる方が会社の利益になることがある |
目次
01自主退職の申し出は「解決」ではない——気を緩めてはいけない理由
横領や不正受給が発覚した後、本人から「自分からやめます」という申し出が来ることがあります。この展開は、退職勧奨に苦労することなく自然な形で終わる可能性があり、経営者としてはほっとする瞬間です。しかしこの瞬間が最も危険です。
自主退職の申し出は「解決」ではありません。あくまで解決へのスタートラインに立ったにすぎません。気を緩めた結果、退職の書面を取り損ねたり、不必要に重い懲戒処分に踏み込んで後に大きな問題になったりするケースが実際に起きています。
自主退職を申し出る理由と、翻す理由
横領・不正受給が発覚した場合に本人が自主退職を申し出る理由は理解できます。発覚した以上この会社にいても居心地が悪い、もうここには先がないと感じるのは自然なことです。
しかし時間が経つにつれて、気持ちが変わることがあります。「よく考えたらやめなくてもよかったかもしれない」「退職したら収入がなくなって困る」「弁護士に相談したら撤回できると言われた」——こういった理由で撤回を求めてくることが実際にあります。申し出の段階で書面が取れていなかったり、承諾の意思を伝えていなかったりすると、撤回を止めることができません。
02退職届・退職合意書を書面で確実に取る
「やめます」という口頭の申し出だけでは不十分です。退職届を書面で取得することが必要です。さらに退職合意書も合わせて作成することを強くお勧めします。
退職届だけでは不十分なことがある
退職届は「やめます」という本人の意思表示を書面化したものです。しかし退職届だけでは、後から争いになったときに対応しにくいことがあります。例えば不正行為に関する事実の確認、返還義務の確認、清算条項など、退職に際して合意しておくべき重要事項が含まれていないからです。
退職合意書に盛り込む内容
退職合意書の文言については弁護士に相談してください。特に清算条項の内容は、残っている返還債務をきちんと除外した形にしておかないと、「清算条項があるから返還しなくていい」という主張の口実になることがあります。
03退職承諾を速やかに書面・メールで伝える——撤回できない状態を作る
退職届を受け取ったら、次に行うべきことは退職承諾の意思を速やかに書面またはメールで本人に伝えることです。これが非常に重要です。
雇用者(会社)が退職の申し出を承諾するまでの間は、労働者は原則として退職の申し出を撤回することができます。しかし承諾の意思が相手に伝わった後は、撤回することができなくなります。
承諾の伝え方
口頭での「分かりました」「承認しました」という伝達だけでは、後から「そんなことは言っていない」「承諾の事実がない」と争われることがあります。書面またはメールで残すことが確実です。
このような形で退職届の受領と承認の事実をメールに残しておくことで、後から「撤回したい」と言われても「既に承認した」という証拠になります。退職届を受け取ったその日のうちに送ることが望ましいです。
なお退職合意書に「本日付で退職について合意した」という記載と双方の署名があれば、それ自体が最も強い証拠になります。できれば退職届の取得と合わせて退職合意書の署名まで一気に完了させることが理想です。
04懲戒解雇の要否を2週間以内に判断しなければならない理由
自主退職の申し出が来た段階でもう一つ急いで判断しなければならないことがあります。それは懲戒解雇をするかどうかの判断です。
なぜ急ぐのかというと、無期雇用の正社員が退職届を提出してから2週間が経過すると、法律上退職が成立してしまうからです(民法627条)。退職が成立した後に懲戒解雇を行うことはできません。退職者に対して懲戒解雇を通知しても法的に意味がなく、効力は生じません。
懲戒解雇をするかどうかを判断するためには、懲戒解雇の法的な有効性の見通しについて弁護士と協議する必要があります。自主退職の申し出が来た時点で速やかに弁護士に連絡し、事実関係を説明した上で懲戒解雇の要否を相談してください。
この判断を先送りしている間に2週間が経過してしまうと、懲戒解雇という選択肢自体が消えてしまいます。特に退職日が近い場合(「今月末でやめます」という申し出など)は、より一層急いで判断する必要があります。
退職成立後の懲戒解雇通知 → 法的効力なし
∴ 懲戒解雇の要否判断は、退職届受領後できる限り早く行うこと
05「示しがつかないから懲戒解雇」が招く最悪のパターン
自主退職の申し出が来ると、経営者の気持ちの中に「やめてくれて良かった」という安堵と、「それでも示しがつかないから懲戒解雇にしなければ」という二つの気持ちが混在することがあります。
この「示しがつかないから」という気持ちから、法的な有効性の確認をしないまま懲戒解雇に踏み込むことが、実務上最も危険なパターンの一つです。
「安易な懲戒解雇→裁判で逆転負け」という現実
最悪のパターン——実際に起きていること
自主退職の申し出が来て安堵する
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「やめてくれるなら懲戒解雇にしておこう。示しがつかないし退職金も払いたくない」と判断
↓
法的な有効性を確認しないまま懲戒解雇を通知
↓
元社員が弁護士に相談、懲戒解雇無効として提訴
↓
裁判で懲戒解雇が無効と判断される(事実の確定が不十分、または事案に照らして重すぎる)
↓
解雇期間中の給与+慰謝料+弁護士費用で数百万〜1000万円超の支出
↓
退職金より高額の費用負担という本末転倒な結果
「示しがつかないから懲戒解雇」という気持ちはよく分かります。しかし懲戒解雇は、法的に有効に成立できる根拠がある場合にのみ行うものです。「気持ちの問題として懲戒解雇にする」という発想では、後の裁判で大変な代償を払うことになります。
特に、自主退職の申し出が来た段階では事実確認が十分に終わっていないことがあります。事実確認が不十分なまま懲戒解雇に踏み込むことは、余計に危険です。
06懲戒解雇をするかしないかの判断基準
自主退職の申し出が来た場合、懲戒解雇をするかどうかの判断は一律にはできません。以下の要素を総合的に考慮した上で、弁護士の意見を踏まえて決めてください。
これらの要素を総合的に検討した上で、懲戒解雇が有効に成立できる法的根拠がある場合にのみ、懲戒解雇に踏み込んでください。迷いがある場合は合意退職で区切りをつける方が無難なことが多いです。
07合意退職で手打ちという選択肢——どんな場合に合理的か
横領・不正受給があったからといって、必ずしも懲戒解雇にこだわる必要はありません。やめてもらえれば合意退職で区切りをつけるという選択肢は、十分に合理的な判断になりえます。
手打ちが合理的になりやすい場合
以下のような場合は、懲戒解雇にこだわらず合意退職で解決することが会社の利益になることがあります。
- 不正行為の金額が比較的少額で、悪質性もそれほど高くない場合
- 懲戒解雇の法的有効性について弁護士の見解が芳しくない(五分五分以下)場合
- 本人が不正を認め、反省の態度を示している場合
- 返還について合意が取れており、実際に返還が進んでいる場合
- 裁判になることで社内外への波紋(取引先・他の社員への影響)を避けたい場合
「手打ち」の条件をしっかり整える
合意退職で手打ちにする場合でも、前述の退職合意書と返還合意書を確実に書面化することが条件です。「お金を返してくれるしやめてくれると言っているから、もう書面とか面倒なことはいい」という発想は絶対に避けてください。口約束は崩れ、後で争いになることが非常に多いです。
手打ちにした後に「やっぱり返さない」「退職届を撤回したい」と言い出されたとき、書面がなければ対処できません。しっかり書面化した上で手打ちにすることが、本当の意味での解決です。
08退職後の返還回収——退職前に確実に書面化しておく
横領・不正受給された金銭の返還について、退職後も返済が続く分割払いの場合は特に注意が必要です。退職後は雇用関係がなくなるため、会社側の影響力が大きく低下します。
退職前に返還合意書を締結し、滞納時には残額を一括請求できる旨の期限の利益喪失条項を入れておくことが不可欠です。退職後に滞納が始まったとき、返還合意書があれば支払督促・民事訴訟・強制執行という法的手続きに進むことができます。返還合意書がなければ、まず合意の存在自体から争われることになります。
また、可能であれば退職前に一括での返済を求めることを最優先にしてください。「退職後に少しずつ返します」という約束は崩れやすいです。まとまったお金がないという場合は、退職金(支払う場合)との相殺を検討することも一つの方法ですが、退職金の取り扱いについては弁護士に相談した上で決めてください。
監修者
弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
弁護士法人四谷麹町法律事務所代表弁護士の藤田進太郎です。私は、労働問題のストレスから会社経営者の皆様を解放したいという強い思いを持っており、日本全国各地の会社経営者のために、問題社員、退職勧奨、労働審判、残業代トラブルなどの労働問題の予防解決に当たっています。横領・不正受給をやった社員が自主退職を申し出てきた場合の対応でお悩みでしたら、弁護士法人四谷麹町法律事務所にご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。アドバイスします。
Q&Aよくある質問
Q1. 「やめます」と口頭で言っています。退職届がなくても大丈夫ですか。
A. 大丈夫ではありません。口頭の申し出は後から「そんなことは言っていない」「気が変わった」と撤回されるリスクがあります。必ず退職届を書面で取得してください。さらに退職合意書も合わせて作成することで、不正行為の事実確認・返還義務・清算条項を一つの書面に盛り込むことができます。退職届を受け取ったら、速やかに承諾の意思を書面またはメールで伝えることも忘れずに行ってください。
Q2. 退職届を受け取りましたが、承諾の意思を伝えていませんでした。今からでも間に合いますか。
A. 受け取ったままであれば、まだ間に合う可能性が高いです。速やかに「退職届を受領し、〇年〇月〇日付での退職を承認しました」という旨を書面またはメールで本人に伝えてください。ただし、退職届受領から既に2週間近く経過している場合は、民法627条により既に退職が成立している可能性があります。状況を弁護士に相談して対応を確認してください。
Q3. 自主退職の申し出が来ました。懲戒解雇した方がいいですか、合意退職にすべきですか。
A. 不正行為の内容・金額・悪質性・事実の確定度合い・懲戒解雇の法的有効性の見通しなどを総合的に考慮して判断します。懲戒解雇は法的に有効に成立できる確信がある場合にのみ行ってください。法的有効性が五分五分以下の案件で「示しがつかないから」という理由で懲戒解雇すると、裁判で無効とされた場合に数百万〜1000万円超の支出になるリスクがあります。速やかに弁護士に相談してください。
Q4. 退職後に返還の支払いが止まりました。どうすればよいですか。
A. 返還合意書がある場合は、それを根拠として支払督促・民事訴訟・強制執行などの法的手続きを取ることができます。返還合意書に期限の利益喪失条項が入っていれば、滞納した時点で残額全額を一括請求することができます。まず弁護士に相談してください。返還合意書がない場合は立証が難しくなりますが、それでも他の証拠(メール記録・口座への振込記録等)をもとに対応できることがあります。
Q5. 退職後に「やはり不正行為はしていなかった」と言い出しました。どうすればよいですか。
A. 退職合意書に不正行為の事実確認が記載されており、本人が署名していれば、その書面が証拠として機能します。また事情聴取書や顛末書、客観的な資料(預金記録・申請書類等)が事実の立証を支えます。書面での事実確認が取れていない場合は、他の証拠をもとに対応することになります。弁護士に相談してください。
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最終更新日:2026年5月10日