本記事のポイント
● 退職勧奨は、法的には「合意退職の申込みの誘引」と解釈されます。
● つまり「労働者側から会社へ『辞めさせてほしい』と言わせるための働きかけ」です。
● この性質により、会社側は解雇権濫用という高いハードルを回避できる可能性が広がります。
● 最終的な「合意」という着地点を明確に意識したプロセス構築が重要です。
1. 退職勧奨の正体は「申込みの誘引」
退職勧奨の法的性質を理解するうえで重要なのは、退職勧奨がそれ自体で労働契約を終了させる行為ではないという点です。民法上の契約理論に基づけば、退職勧奨は一般に「合意退職の申込みの誘引」と位置づけられています。これは、会社が労働者に対して退職という選択肢を提示し、労働者自身から退職の申込みを行うよう働きかける行為を意味します。
例えば、店舗で商品が展示されている場合、その展示は直ちに売買契約を成立させる「申込み」ではなく、顧客に購入を検討してもらうための申込みの誘引と理解されています。退職勧奨もこれと同様に、「退職という選択肢を検討してほしい」と働きかける段階にとどまるものであり、この時点ではまだ労働契約の終了という法的効果は生じていません。
実務上は、会社が退職を検討するよう提案し、それを受けて労働者が退職届を提出することで初めて「合意退職の申込み」が成立します。そして、その申込みを会社が承諾することによって、最終的に労働契約の終了という法的効果が確定します。
このように、退職勧奨は契約終了のための準備段階として位置づけられる行為であり、労働者の自由な意思による退職の申込みを引き出すための働きかけという性質を持っています。会社経営者としては、この「申込みの誘引」という法的構造を理解しておくことが、適正な退職勧奨を行ううえで重要な出発点になります。
2. なぜ「誘引」という形をとるのか
会社が労働者に退職を検討してもらう場合、なぜ「解雇」という方法ではなく、退職勧奨という「申込みの誘引」の形をとるのかという点は、会社経営者にとって非常に重要なポイントです。その最大の理由は、雇用契約を終了させる意思表示の主体を、会社ではなく労働者側に置くことができる点にあります。
解雇は会社による一方的な意思表示によって労働契約を終了させる行為であり、日本の労働法では厳格な制限が設けられています。いわゆる解雇権濫用法理により、客観的合理性と社会通念上の相当性が認められなければ解雇は無効と判断される可能性があります。もし解雇が無効と判断された場合には、会社は長期間の未払い賃金(バックペイ)の支払いなど、重大な経営リスクを負うことになります。
一方、退職勧奨はあくまで労働者に退職という選択肢を提示し、本人の判断によって退職を選択してもらうことを目的とした手続きです。労働者が自発的に退職届を提出し、会社がそれを承諾することで成立する合意退職であれば、契約自由の原則のもとでその効力は広く認められる傾向があります。
このように、退職勧奨という「申込みの誘引」の形式をとることで、会社は一方的な契約終了である解雇に伴う法的リスクを避けながら、合意による契約終了というより安定した形で問題を解決する可能性を持つことになります。会社経営者としては、この法的構造を理解したうえで、退職勧奨という手続きの意味を正しく把握しておくことが重要です。
3. 裁判実務上の評価
退職勧奨の法的性質を理解するうえでは、裁判実務でどのように評価されているかを知ることも重要です。結論からいえば、裁判所は退職勧奨そのものを違法な行為とは考えておらず、労働者の自由な意思が尊重されている限り、適法な企業活動として認める傾向にあります。
退職勧奨はあくまで「合意退職の申込みの誘引」であり、労働者に退職という選択肢を提示する行為にすぎません。そのため、会社が退職を提案すること自体は直ちに問題とされるものではなく、社会通念上相当な範囲で行われているかどうかが重要な判断基準になります。
具体的には、労働者が退職するかどうかを自由に判断できる状況が保たれているか、会社側の説明が威圧的なものになっていないか、面談の回数や方法が過度な圧力となっていないかといった事情が総合的に検討されます。これらの点に問題がなければ、退職勧奨は任意の話し合いとして適法と評価されることが一般的です。
一方で、労働者の意思を事実上拘束するような状況が生じている場合には、退職勧奨の法的性質は大きく変わります。例えば、執拗な説得や威圧的な言動によって退職を迫った場合には、もはや「申込みの誘引」の範囲を超え、退職強要やハラスメントと評価される可能性があります。
会社経営者としては、退職勧奨が裁判でどのように評価されるかを理解し、常に労働者の任意の意思を尊重した話し合いであることを意識して進めることが重要です。そうした姿勢を維持することが、退職勧奨を適法な手続きとして成立させるための基本になります。
4. 合意成立までの3ステップ
法的性質を正しく理解すれば、踏むべき手順は自ずと明確になります。
① 申込みの誘引(退職勧奨)
合意退職のプロセスの最初の段階が、会社による申込みの誘引としての退職勧奨です。この段階では、会社が労働者に対して退職という選択肢を提示し、その可能性について検討するよう働きかけます。あくまで退職の意思表示を求める前段階であり、この時点では労働契約を終了させる法的効果はまだ発生していません。
実務上は、会社側が労働者に対して面談の場を設け、業務上の状況や今後の見通しを説明しながら、退職という選択肢について話し合う形で進められることが一般的です。場合によっては、退職条件や退職時期、一定の金銭的条件などを提示しながら、労働者にとってどのような選択肢があるのかを整理することもあります。
もっとも、この段階で最も重要なのは、労働者の自由な意思による判断が確保されていることです。退職勧奨はあくまで退職という選択肢を提示する行為にすぎず、労働者に退職を強制するものではありません。労働者がその提案を受け入れるかどうかは完全に本人の判断に委ねられています。
会社経営者としては、この段階が合意退職の出発点であることを理解し、退職という結論を急がせるのではなく、労働者が冷静に検討できる環境を整えることが重要になります。適切な形で申込みの誘引を行うことが、後の合意退職の有効性を支える重要な基盤となります。
② 申込み(労働者)
退職勧奨による話し合いの結果、労働者が退職を選択する意思を固めた場合、次の段階として労働者側からの申込みが行われます。契約法の観点から見れば、ここで初めて労働契約を終了させるための正式な意思表示が行われることになります。
実務では、この申込みは通常、退職届の提出という形で行われます。労働者が自ら退職届を作成し会社に提出することで、「労働契約を合意によって終了させたい」という意思が明確に示されることになります。場合によっては、退職合意書に署名する形で意思表示が行われることもあります。
重要なのは、この申込みが労働者自身の自由な意思によって行われていることです。退職届が会社側の強い圧力や誤解を招く説明によって提出された場合には、後に退職の有効性が争われる可能性があります。裁判では、退職届がどのような経緯で提出されたのかが慎重に検討されるため、この段階の手続きは非常に重要です。
会社経営者としては、退職届の提出が労働者の自発的な意思によるものであることを確認し、必要に応じて退職理由や退職日などの条件を整理しておくことが望ましいでしょう。こうした対応を行うことで、後に「退職を強いられた」と主張されるリスクを抑えることにつながります。
③ 承諾(会社)
労働者から退職の申込みが行われた後、最後の段階として必要になるのが会社による承諾です。契約法の基本原則では、申込みと承諾の意思表示が合致した時点で契約が成立します。合意退職の場合も同様で、労働者の退職申込みを会社が承諾することで、労働契約の終了が正式に確定します。
実務上は、労働者から提出された退職届を会社が受理し、決裁権限を持つ担当者が退職を承認することで、この承諾が行われることになります。場合によっては、退職承認通知書を交付したり、退職合意書を取り交わしたりする形で、退職の成立を明確にすることもあります。
この段階で重要なのは、退職の成立を客観的に確認できる形で記録を残しておくことです。口頭のやり取りだけで処理してしまうと、後になって「退職の合意は成立していない」といった紛争が生じる可能性があります。そのため、退職届の受理日や退職日、退職条件などを文書として整理しておくことが望ましいといえます。
会社経営者としては、退職勧奨から合意退職の成立までのプロセスを適切に管理し、労働者の申込みと会社の承諾が明確に確認できる形で手続きを完結させることが重要です。これにより、退職の有効性が後に争われるリスクを抑えることにつながります。
5. まとめ
退職勧奨の法的性質は、契約法の観点から見ると「合意退職の申込みの誘引」に位置づけられます。つまり、会社が労働者に退職という選択肢を提示し、労働者自身から退職の申込みを行ってもらうための働きかけに過ぎません。この段階ではまだ労働契約の終了という法的効果は生じておらず、最終的に労働者の申込みと会社の承諾が合致することで初めて合意退職が成立します。
この仕組みを理解すると、退職勧奨は単なる説得ではなく、合意による契約終了を実現するための合理的な法的プロセスであることが分かります。解雇のような一方的な契約終了とは異なり、労働者の意思を前提としているため、適切に進められた場合には紛争リスクを抑えながら雇用関係を整理できる可能性があります。
もっとも、退職勧奨が適法と評価されるためには、常に労働者の自由な意思決定が尊重されていることが前提となります。退職という結論を強制するような対応があれば、申込みの誘引という枠組みを逸脱し、退職強要やハラスメントと評価されるおそれがあります。
会社経営者としては、退職勧奨の法的構造を正しく理解し、合意退職に至るまでのプロセスを慎重に設計することが重要です。適切な手順と記録管理を行いながら進めることが、退職の有効性を確保し、会社の法的リスクを最小限に抑えるための基本といえるでしょう。
法的性質に関するよくある質問
Q1. 「申込みの誘引」であれば、会社側はいつでも中断できますか?
A. はい、可能です。誘引は契約を提案している段階ですので、労働者が応じない場合や、会社側が方針転換した場合には中断できます。ただし、過度な期待を抱かせた後の不当な中断が信義則に反すると争われる極めて稀なケースを除き、基本的には自由です。
Q2. 労働者が「辞めます」と言っただけで合意成立ですか?
A. 法的には「申込み(労働者)」と「承諾(会社)」が合致すれば成立しますが、実務上は言った言わないの紛争を防ぐため、退職届の受理や退職承認通知書の交付をもって確定させるべきです。
Q3. 誘引の段階で「解雇」という言葉を使うとどうなりますか?
A. 「申込みの誘引(任意の話し合い)」という枠組みを逸脱し、一方的な剥奪としての「解雇」とみなされるリスクが高まります。法的性質を維持するためには、あくまで本人の自発的な決断を促す形をとるべきです。
監修者弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
弁護士法人四谷麹町法律事務所代表弁護士の藤田進太郎です。私は、労働問題のストレスから会社経営者の皆様を解放したいという強い思いを持っており、日本全国各地の会社経営者のために、問題社員、労働審判、残業代トラブルなどの労働問題の予防解決に当たっています。問題社員、労働審判、残業代トラブルでお悩みでしたら、弁護士法人四谷麹町法律事務所にご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。

最終更新日:2026/3/9