労働問題903 労働者と合意して賃金減額をする場合のポイントを教えて下さい。

1. 労働者との合意による賃金減額が問題となる場面

 賃金減額を検討する場面として、会社経営者がまず思い浮かべるのは、労働協約や就業規則の変更による対応かもしれません。しかし、実務上は、「特定の労働者と個別に話し合い、合意のうえで賃金を減額したい」というケースも少なくありません。

 例えば、業績悪化への対応として一時的な賃金調整を行いたい場合や、職務内容や役割の変更に伴い賃金水準を見直したい場合など、個別合意による賃金減額が検討される場面は多岐にわたります。このような場合、会社経営者としては、「本人が同意しているのだから問題ないだろう」と考えがちです。

 確かに、労働契約法8条は、労働者と使用者の合意によって労働条件を変更することを認めています。そのため、形式的には、賃金減額について労働者の同意があれば、契約変更が成立する余地があります。

 しかし、賃金は労働条件の中でも特に重要な要素であり、単に同意書に署名・押印があるだけで、常に賃金減額が有効になるわけではありません。後になって、「同意は自由な意思に基づくものではなかった」「不利益が大きすぎる」として、賃金減額の有効性が争われるケースも多く見られます。

 会社経営者としては、労働者との合意による賃金減額を検討する際、「合意があれば足りる」という認識にとどまらず、その合意が法的に有効と評価されるかどうかという視点を持つことが不可欠です。本記事では、この点について、法的な枠組みと実務上の注意点を順を追って整理していきます。

2. 労働者との合意による賃金減額が認められる法的根拠

 労働者との合意による賃金減額が法的にどのように位置付けられているかを理解するためには、まず労働契約法8条の規定を押さえておく必要があります。同条は、労働者と使用者が合意すれば、労働条件を変更することができると定めています。

 この規定により、賃金という重要な労働条件であっても、当事者双方の合意があれば、変更自体は可能とされています。そのため、会社経営者の中には、「合意さえ取れば問題ない」と理解している方もいます。

 しかし、労働契約法8条は、あくまで合意による変更を認めているにすぎず、どのような合意であっても有効になると定めているわけではありません。賃金減額の合意が有効と評価されるかどうかは、他の法規定や判例の考え方とあわせて判断されることになります。

 特に注意すべきなのは、賃金減額が労働者にとって重大な不利益変更にあたる点です。不利益の程度が大きいほど、その合意が本当に労働者の自由な意思に基づくものなのかが厳しく問われます。単に「同意書に署名した」という事実だけでは、十分とはいえません。

 会社経営者としては、労働契約法8条を「賃金減額を正当化する根拠」と捉えるのではなく、あくまでスタートラインにすぎない規定として理解することが重要です。次項では、この合意に対して制約を加える就業規則の最低基準効が、賃金減額にどのような影響を与えるのかを確認していきます。

3. 就業規則の最低基準効が賃金減額に与える影響

 労働者との合意による賃金減額を検討する際、会社経営者が必ず確認しておくべきなのが、就業規則の最低基準効です。労働契約法12条は、就業規則で定める労働条件が、個別の労働契約に対する最低基準となることを定めています。

 この最低基準効の考え方によれば、就業規則で定められている賃金水準を下回る内容を、労働者との個別合意によって定めたとしても、その部分は無効となります。つまり、労働者が同意していたとしても、就業規則に反する賃金減額は認められないということになります。

 実務上、「本人が納得しているのだから問題ないだろう」「個別合意なので就業規則よりも優先されるはずだ」と誤解されることがありますが、この理解は正しくありません。就業規則は、労働条件についての最低ラインを定めるものであり、労働者の同意によって簡単に引き下げられるものではありません。

 したがって、労働者と賃金減額について合意をする前提として、就業規則上の賃金規定がどのようになっているのかを確認することが不可欠です。就業規則に定める賃金額や算定方法を下回る内容となっていないか、減額を行う場合には、就業規則の変更が必要ではないかを、事前に検討する必要があります。

 会社経営者としては、個別合意と就業規則を切り離して考えるのではなく、就業規則を前提としたうえで合意が有効に成立するかという視点を持つことが重要です。この点を見落としたまま賃金減額を行うと、後に減額部分が無効と判断され、未払賃金請求につながるおそれがあります。

4. 合意が無効となる典型的なケース

 労働者との合意によって賃金減額を行ったとしても、その合意が常に有効と評価されるわけではありません。実務上は、「形式的には同意があるものの、法的には無効と判断される」ケースが少なくありません。

 まず問題となるのが、公序良俗に反する場合です。賃金減額の内容が著しく過酷であり、労働者の生活を不当に脅かすようなものである場合には、たとえ労働者が同意していたとしても、その合意自体が無効と判断される可能性があります。合意の有無だけでなく、減額の内容や程度が社会的に許容される範囲かどうかが問われます。

 また、労働者の同意が、詐欺や脅迫によって得られた場合も無効となります。例えば、「同意しなければ解雇する」「同意しなければ配置転換で不利な扱いをする」といった発言があった場合、労働者の意思表示が自由な意思に基づくものとはいえなくなります。このような状況で得られた同意は、後から取り消される可能性があります。

 さらに、同意の過程において、賃金減額の理由や内容について十分な説明がなされていない場合も問題となります。労働者が減額の不利益を正確に理解しないまま同意していた場合、その同意が有効とは評価されにくくなります。「説明はしたつもり」という主観的な認識では足りず、客観的に見て説明が尽くされていたかが重要です。

 会社経営者としては、「同意書があるから大丈夫」と考えるのではなく、その同意がどのような経緯で、どのような環境下でなされたのかを振り返る必要があります。合意が無効と判断されれば、賃金減額はなかったものと扱われ、未払賃金の支払義務が生じる点には注意が必要です。

5. 最高裁が示す「労働者の同意」の判断基準

 労働者との合意による賃金減額の有効性を判断するうえで、会社経営者が必ず押さえておくべきなのが、最高裁の判例が示している「同意」の考え方です。最高裁は、労働条件の変更が賃金や退職金といった重要な労働条件に関わる場合には、特に慎重な判断が必要であるとしています。

 最高裁は、労働者が賃金減額を受け入れる行為をしたからといって、直ちに有効な同意があったとみるのは相当ではないと判示しています。重要なのは、労働者の同意が「自由な意思」に基づいてなされたと認めるに足りる、合理的な理由が客観的に存在するかどうかという点です。

 この判断においては、単に同意書への署名・押印があるかどうかでは足りません。賃金減額という不利益を伴う変更について、労働者がどのような状況で、どのような理解のもとに同意したのかが重視されます。形式よりも、実質が問われるといえます。

 会社経営者としては、「本人が文書にサインしている」という事実だけに依拠するのではなく、第三者から見ても、自由な意思による同意と評価できるかを意識する必要があります。最高裁の考え方を踏まえると、同意の取得過程そのものが、賃金減額の有効性を左右する重要な要素となります。

 次項では、この最高裁の判断基準を踏まえ、会社経営者が実務上どのような点について証拠を残しておくべきかを具体的に確認していきます。

6. 会社経営者が残しておくべき客観的証拠

 労働者との合意による賃金減額を有効に成立させるためには、「同意があった」という事実だけでなく、その同意が自由な意思に基づいてなされたことを客観的に示せる証拠を残しておくことが極めて重要です。最高裁の判断枠組みに照らすと、後から紛争になった場合、会社側がその点を立証できるかどうかが、結論を大きく左右します。

 まず重要なのは、変更される不利益の内容および程度を明確に説明していることです。どの賃金項目が、いつから、どの程度減額されるのか、元の賃金と比較してどのような影響が生じるのかについて、具体的に説明した資料を残しておく必要があります。抽象的な説明や口頭のみの説明では不十分と評価されやすくなります。

 次に、労働者が同意に至った経緯や態様も重要な要素です。説明から同意までの期間が極端に短い場合や、その場で即座に署名を求めたような場合には、自由な意思による同意かどうかが疑われやすくなります。説明の機会を設け、検討する時間を与えたことが分かる記録を残しておくことが望まれます。

 さらに、同意に先立つ使用者側からの情報提供および説明の内容についても、客観的に確認できる形で残しておく必要があります。業績の状況、賃金減額を検討する理由、他の選択肢の有無などについて、どのような説明を行ったのかを、資料や議事録、メール等の形で保存しておくことが重要です。

 会社経営者としては、「同意書にサインをもらったから大丈夫」と考えるのではなく、同意に至るプロセス全体を説明できるかという視点で証拠を整えておくことが不可欠です。この準備を怠ると、後になって同意の有効性が否定され、賃金減額が無効と判断されるリスクが高まります。

7. 合意による賃金減額を行う際の実務上の注意点(まとめ)

 労働者との合意による賃金減額は、労働契約法8条により認められている一方で、非常に慎重な対応が求められる手法であることを、会社経営者は十分に理解しておく必要があります。賃金は労働条件の中でも中核的な要素であり、合意があれば足りるという単純な問題ではありません。

 特に重要なのは、就業規則の最低基準効との関係です。就業規則で定める賃金水準を下回る内容を、個別合意によって定めたとしても、その部分は無効となります。賃金減額について労働者の同意を得る前提として、就業規則との整合性を必ず確認する必要があります。

 また、合意が有効と評価されるためには、労働者の同意が自由な意思に基づいてなされたものであることが不可欠です。最高裁が示すとおり、同意書への署名・押印があるだけでは足りず、同意に至るまでの説明内容や経緯、不利益の程度などを総合的に見て判断されます。

 会社経営者としては、「同意を取ること」自体を目的にするのではなく、後から第三者に対しても合理的に説明できるプロセスであったかという視点を持つことが重要です。十分な説明を行い、検討の時間を与え、その過程を客観的な証拠として残しておくことが、結果的に会社を守ることにつながります。

 合意による賃金減額は、進め方を誤れば無効と判断され、未払賃金請求といった大きなリスクを招きます。会社経営者としては、短期的な対応にとらわれず、法的リスクを見据えた慎重な判断と運用を行うことが、最も重要な実務上のポイントといえるでしょう。

 

 

最終更新日2026/2/3

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