労働問題386 次年度の年俸額引下げを求めたところ合意が成立しなかった場合、次年度の年俸額はどうなりますか。
|
✓
|
次年度の年俸引き下げ交渉が決裂した場合の年俸額がどうなるかは、労働契約の解釈問題であり、裁判例でも結論が分かれている。事前に明確な規定を設けておくことが唯一の予防策 「交渉が決裂したら前年度の額が自動的に継続する」わけでも、「会社が提示した額が適用される」わけでも、どちらとも言い切れません |
|
✓
|
裁判例①:使用者が提示した額を超えては請求できないとしたケースがある 会社が年俸引き下げ提示をした場合、社員がその提示額以上を請求できないとした裁判例 |
|
✓
|
裁判例②:前年度実績の年俸額を支給すべきとしたケースがある 合意が成立しなかった場合は前年度額が維持されるとした裁判例 |
目次
01問題の所在。年俸額交渉が決裂した場合の法的不明確さ
385番では、年俸制を採用した場合に年度途中での一方的引き下げは困難であることを解説しました。では、次年度の年俸額を引き下げようと交渉したにもかかわらず合意が成立しなかった場合、次年度の年俸額はどうなるのでしょうか。
これは労働契約の解釈問題であり、法律上一律に決まる答えはありません。裁判例においても結論が分かれており、「使用者が提示した額を超えては請求できない」とするものと「前年度実績の年俸額を支給すべき」とするものが存在します。この不明確さこそが、年俸制に潜む大きなリスクの一つです。
トラブルを予防するためには、この問題を事後的に解決しようとするのではなく、事前に労働契約・就業規則に合意不成立時の取扱いを明確に規定しておくことが不可欠です。
02裁判例の傾向。結論が分かれている現実
年俸額引き下げ交渉が決裂した場合の翌年度年俸額については、裁判例の結論が事案によって異なります。
どちらの立場が採られるかは、就業規則・労働契約の規定内容・交渉経緯・年俸制の具体的な設計等を踏まえた個別の解釈問題となります。したがって、会社経営者としては、「自社の事案ではどちらになるか分からない」という不明確なリスクを抱えていることを認識する必要があります。
03「使用者提示額を超えては請求できない」とした裁判例の論理
立場①(使用者提示額上限説)の論理は、次のようなものです。年俸制においては、毎年度の年俸額を決定するための交渉が行われ、その交渉において使用者が提示した額は「来年度はこの額で雇用を継続する」という申込みに相当する。社員がこの申込みに対して承諾しなかったとしても、使用者の提示額を超える年俸を請求できる地位にはない。
この立場によれば、会社が引き下げ後の金額を提示したにもかかわらず合意に至らなかった場合、社員は当該引き下げ後の提示額を超える年俸を請求できないことになります。会社経営者の立場からすれば比較的有利な結論ですが、この立場がすべての裁判例で採られているわけではないため、安心材料とはなりません。
04「前年度実績額を支給すべき」とした裁判例の論理
立場②(前年度実績額継続説)の論理は、次のようなものです。年俸制とは毎年交渉により年俸額を決定する制度であるが、交渉が決裂して合意が成立しなかった場合、新たな年俸額が確定しないため、従前の労働条件(前年度年俸額)が継続して適用される。
この立場によれば、会社が年俸を引き下げようとしても合意が得られなかった場合、前年度の年俸額が次年度も継続して支払義務の対象となります。会社経営者の立場からすれば不利な結論となるため、合意なき引き下げは困難ということになります。
「どちらになるか分からない」という不確実性が最大のリスク
結論が事案によって異なるということは、「自社では立場①が採られるはずだ」という予測のもとに交渉を進めても、実際に紛争となった際に立場②が採られる可能性があるということです。この不確実性そのものが経営リスクです。唯一の解決策は、事前に合意不成立時の取扱いを就業規則・労働契約に明記しておくことです。
05会社経営者にとっての実務上の対応。事前の規定整備が唯一の解決策
裁判例の結論が分かれている以上、年俸制を採用する際には「合意が成立しなかった場合はどうなるか」を就業規則・労働契約上で事前に明確に規定しておくことが最も重要です。
就業規則・労働契約に明記すべき事項(例)
・毎年○月○日を期限として翌年度の年俸を協議・決定すること
・年俸の決定は会社の評価基準(別添の評価規程等)に基づくこと
・上記期限までに合意が成立しない場合の取扱い(例:「会社の最終提示額を翌年度年俸とする」または「一定期間前年度額を継続した上で再協議する」等)
・年俸変更の上限・下限の範囲(例:「前年度の○%以上○%以下の範囲で変更する」)
・年俸の決定に際して会社が書面で通知する手続
これらの規定を整備しておくことで、交渉が決裂した場合でも「就業規則・労働契約の定めに従って処理する」という明確な根拠ができます。事前の規定整備なしに年俸制を運用することは、将来の紛争において「どちらの裁判例が採られるか分からない」という状態で戦うことを意味します。
06まとめ
次年度の年俸額引き下げ交渉が決裂した場合の年俸額は労働契約の解釈問題であり、裁判例では「使用者の提示額を超えては請求できない」とするものと「前年度実績の年俸額を支給すべき」とするものが存在し、事案によって結論が分かれています。この不確実性こそが年俸制の最大のリスクの一つです。年俸制を採用する際には、合意不成立時の取扱いを就業規則・労働契約に事前に明確に規定しておくことが唯一かつ最も確実な予防策です。具体的な規定の設計については使用者側弁護士のサポートを受けることをお勧めします。アドバイスします。
監修者
弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
年俸制の設計・年俸額変更でお悩みの会社経営者の方はご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。アドバイスします。
Q&Aよくある質問
Q1. 就業規則に「合意不成立の場合は会社の最終提示額を適用する」と規定しておけば安心ですか。
A. その規定が就業規則として有効であるためには、就業規則変更の合理性(労契法10条)の問題もあります。また、具体的な変更幅・評価基準・提示のプロセスが合理的なものとして設計されていなければ、規定があっても争われるリスクがあります。就業規則への規定整備は必要ですが、内容の設計については使用者側弁護士に確認することをお勧めします。
Q2. 年俸交渉が決裂したまま社員が働き続けている場合、どの金額で支払えばよいですか。
A. 裁判例により結論が分かれており、状況によって異なります。合意不成立のまま放置することは紛争リスクを高めます。速やかに使用者側弁護士に相談し、具体的な事情を踏まえた対応方針を決定することをお勧めします。暫定措置として前年度額を支払いつつ交渉を継続するという対応が現実的なケースが多いと考えられます。
関連ページ(年俸制・賃金変更シリーズ)
最終更新日:2026年5月31日