労働問題436 労働審判の答弁書で否認する場合に理由は必要か|会社経営者が押さえるべき実務対応

1. 否認の理由記載が求められる法的背景

 民事訴訟においては、相手方の主張する事実を否認する場合、その理由を記載しなければならないとされています(民訴規則79条3項)。これは、単なる形式的ルールではなく、審理を充実させ、争点を明確化するための重要な原則です。

 なぜ否認理由が求められるのか。それは、「なぜ争っているのか」を明らかにしなければ、実質的な審理が進まないからです。単に「否認する」とだけ書かれても、どの部分に争いがあり、どのような事実関係が問題なのかが不明確なままになります。

 労働審判は民事訴訟とは異なる迅速手続ですが、審理の充実という要請は変わりません。むしろ、短期間で結論が示される制度であるからこそ、争点の明確化はより重要です。否認理由が示されていなければ、労働審判委員会は適切な心証形成を行うことができません。

 会社経営者にとって重要なのは、「否認は戦略的行為である」という理解です。否認とは単なる反射的反論ではなく、自社の立場を明確に示す意思表示です。その理由を示して初めて、否認は実質的な意味を持ちます。

 特に労働審判では、申立書と答弁書の段階で暫定心証が形成されます。理由なき否認は、「実質的な反論がない」と受け取られる危険があります。これは和解水準や審判内容に直結します。

 したがって、民事訴訟の規律を直接適用しない場面であっても、労働審判の答弁書において否認理由を記載することは、実務上当然の対応といえます。否認理由の記載は形式ではなく、企業防衛の基本動作なのです。

2. 労働審判でも否認理由が重要とされる理由

 労働審判は、通常訴訟と異なり、原則3回以内で終結する迅速手続です。このスピード感の中では、争点が早期に整理されていなければ、十分な審理ができません。だからこそ、否認理由の記載は極めて重要になります。

 労働審判委員会は、申立書と答弁書を精読し、事前に暫定心証を形成して第1回期日に臨みます。もし答弁書に「否認する」としか書かれていなければ、「では、なぜ否認しているのか」「会社側の事実認識はどうなのか」が不明確なままとなります。

 この状態では、委員会としては申立人の主張を前提に議論を進めざるを得ない場面も出てきます。結果として、会社側に不利な枠組みで審理が進行する可能性があります。

 また、労働審判は和解的解決を強く志向する制度です。否認理由が明確であれば、争点の幅や強度が把握でき、合理的な解決水準を探ることが可能になります。一方、理由のない否認は、「実質的争点がないのではないか」と評価され、会社側の交渉力を低下させます。

 会社経営者にとって重要なのは、否認理由の記載が「守り」の行為ではなく、「攻め」の戦略であるという点です。なぜ争うのかを明確にすることは、審理の土俵を自社に有利な形で設定することにつながります。

 労働審判では、後から主張を補充する時間的余裕が限られています。だからこそ、答弁書の段階で否認理由を具体的に示し、争点を主導的に整理することが不可欠です。否認理由の記載は、迅速手続における企業防衛の基本戦略なのです。

3. 形式的否認がもたらすリスク

 労働審判の答弁書において、「否認する」とだけ記載する形式的否認は、会社経営者にとって大きなリスクを伴います。見た目上は反論しているようでも、実質的には何も主張していないのと同じ評価を受けかねません。

 第一に、暫定心証の段階で不利になるリスクです。

 労働審判委員会は、限られた時間で事案の骨格を把握します。否認理由が示されていなければ、「具体的反論はない」「実質的争点はないのではないか」という印象を持たれる可能性があります。この印象は、第1回期日の議論の方向性や和解水準に直結します。

 第二に、争点が会社側に不利な形で固定化されるリスクです。

 否認理由がなければ、どこに争いがあるのかが明確になりません。その結果、申立人の主張する枠組みを前提に議論が進み、会社側が後から軌道修正を図ろうとしても、手続の迅速性ゆえに十分な展開ができないことがあります。

 第三に、交渉力の低下です。

 労働審判は和解的解決を志向します。否認理由が具体的であれば、会社側の主張の強度が伝わり、解決金額の調整余地が広がります。形式的否認では、「本気で争う意思があるのか」が伝わらず、不利な条件での解決を迫られる可能性があります。

 第四に、通常訴訟への移行時の影響です。

 労働審判が不成立となり通常訴訟に移行した場合でも、初期段階の主張内容は裁判官の心証に影響を与え得ます。最初の書面が弱ければ、その印象を覆すには相当の労力を要します。

 会社経営者として理解すべきは、否認は単なる儀式的手続ではないということです。否認は、自社の事実認識と法的立場を明示する重要な戦略行為です。

 「とりあえず否認する」という姿勢は、迅速手続である労働審判では通用しません。形式的否認は安全策ではなく、むしろリスク要因です。否認するのであれば、その理由を明確に示す――これが実務上の原則となります。

4. 重要事実の否認では必ず理由を書くべき理由

 労働審判において、すべての否認に同じ濃度の理由を書く必要があるわけではありません。しかし、結論を左右する重要事実の否認については、必ず相応の理由を記載すべきです。ここを省略することは、会社経営者にとって極めて危険です。

 例えば、解雇事案であれば、

  • 問題行為の存在
  • 解雇理由の具体的内容
  • 手続の適法性

といった核心部分は、まさに勝敗を分ける争点です。これらを「否認する」とだけ書けば、「では会社の認識はどうなのか」が不明確なままとなります。

 残業代請求事件でも、

  • 実労働時間
  • 残業命令の有無
  • 未払額の算定方法

といった中心論点については、否認理由を書かなければ、会社側の主張の骨格が見えません。

 労働審判委員会は、申立書と答弁書を基に暫定心証を形成します。重要事実について理由なき否認が並んでいれば、「実質的な反論は弱い」と受け取られる可能性があります。その結果、和解提示額が高く設定されるなど、具体的な不利益につながります。

 また、重要事実に理由を付して否認することは、争点を明確にする効果があります。

 「○月○日の残業は、業務命令ではなく自主的作業であったため否認する」

 というように理由を示せば、審理の焦点は「業務命令の有無」に絞られます。争点をコントロールする意味でも、否認理由の記載は戦略的価値があります。

 会社経営者としては、否認を単なる防御行為と捉えるのではなく、「争点設定の行為」と理解すべきです。特に重要事実については、理由を明示し、会社側の立場を積極的に示すことが不可欠です。

 重要事実の否認に理由を書かないことは、実質的に主導権を手放すことに等しい。この認識を持つことが、労働審判における適切な企業防衛につながります。

5. 否認理由の具体的な書き方(解雇事案)

 解雇事案において申立人の主張を否認する場合、会社経営者として意識すべきは、「評価を否認する」のではなく、「事実関係を具体的に示して否認する」という点です。

 例えば、申立人が「業務上の重大な問題行為は存在しない」と主張している場合、単に「否認する」と記載するだけでは不十分です。

 適切な記載例は、次のような構造になります。

  • 申立人は令和○年○月○日、顧客に対し○○と発言し、苦情が寄せられた。
  • 同年○月○日、上司が口頭注意を行った。
  • 同年○月○日、書面により改善を求めた。

 以上の事実に照らし、「問題行為は存在しない」との主張は否認する。

 このように、否認理由として会社側の具体的事実認識を示すことが重要です。

 また、「解雇は不相当である」との主張に対しては、

  • 複数回の指導が行われていること
  • 改善が見られなかったこと
  • 業務への支障が具体的に生じていたこと

などを理由として示し、「社会的相当性を欠く」との主張を否認する構造にします。

 重要なのは、抽象的評価語で対抗しないことです。「著しく不適切であった」などの表現だけでは弱い。具体的事実を積み上げ、その帰結として否認するという形をとることで、説得力が生まれます。

 会社経営者にとって、解雇事案は感情が入りやすい紛争類型です。しかし、労働審判では感情ではなくプロセスの合理性が見られます。否認理由には、冷静で客観的な事実を中心に据える必要があります。

 解雇事案における否認理由とは、会社の判断が突発的・恣意的なものではなく、段階的な検討を経た合理的判断であることを示すための事実提示です。この構造を意識することが、実務上極めて重要です。

6. 否認理由の具体的な書き方(残業代請求)

 残業代請求事件においては、数字と時間が中心的争点になります。したがって、否認理由も抽象的な表現ではなく、客観的事実と数値に基づいて記載することが不可欠です。

 例えば、申立人が「月80時間の時間外労働を行っていた」と主張している場合、単に「否認する」とだけ記載するのは不十分です。適切な否認理由の構造は次のとおりです。

  • 申立人のタイムカード記録では、所定終業時刻から30分以内に退勤している日が大半である。
  • 深夜時間帯の打刻記録は存在しない。
  • 業務日報上も、当該時間帯に特段の業務負荷は確認できない。

 以上の事実に照らし、月80時間の時間外労働があったとの主張は否認する。

 このように、「会社側の労働時間認識」を具体的に示したうえで否認します。

 また、「会社が黙示的に残業を命じていた」との主張に対しては、

  • 時間外労働は事前申請制であること
  • 無断残業は禁止されていること
  • 申請のない残業については是正指導を行っていたこと

などを理由として記載します。

 固定残業代制度が争われている場合も同様です。

  • 雇用契約書に○時間分の時間外手当が明示されていること
  • 賃金明細に内訳が記載されていること

といった具体的事実を示して否認理由とします。

 会社経営者として理解すべきなのは、残業代事件では「否認=数字で示す」ことが原則だという点です。抽象的な「過大である」「誤っている」という記載では、心証は動きません。

 否認理由は、会社側の計算根拠・管理実態を明示する機会です。具体的事実を示し、争点を数値レベルで明確にすることが、和解水準の引下げや請求額の縮減につながります。

 残業代請求における否認理由は、単なる反論ではなく、会社の労働時間管理体制の合理性を示す戦略的主張です。この意識を持つことが、実務上極めて重要です。

7. 「知らない」「不知」とする場合の注意点

 労働審判の答弁書では、申立人の主張事実について「知らない」「不知」とすることもあります。しかし、会社経営者としては、この記載を安易に用いるべきではありません。不適切な「不知」は、かえって信用性を損ないます。

 第一に、会社が当然把握しているはずの事実について「不知」とすることは危険です。

 例えば、勤務日数、支払賃金額、就業規則の内容などは、会社側が管理している事項です。これらについて「不知」とすれば、「事実管理ができていない会社」との印象を与えかねません。

 第二に、「不知」とした場合の法的効果を理解する必要があります。

 通常、不知は否認と同様に扱われますが、理由が示されていなければ実質的反論が弱いと評価される可能性があります。特に重要事実については、「なぜ把握していないのか」まで説明できなければ説得力はありません。

 第三に、調査中である場合の書き方です。

 事実関係の確認が間に合わない場合でも、単に「不知」とするのではなく、「現在社内記録を精査中であり、確認のうえ追って主張する」といった補足を付ける方が実務的です。迅速手続である労働審判では、この姿勢が心証に影響します。

 第四に、評価部分と事実部分を区別することです。

 「解雇は不当である」といった評価については争うことが当然ですが、その前提となる事実まで安易に「不知」としてしまうと、争点整理が混乱します。

 会社経営者として重要なのは、「不知」は防御の安全策ではないという認識です。管理可能な事実については明確に認否を示し、争うのであれば理由を付すことが、企業としての信頼性を保つ対応です。

 労働審判では、会社の管理体制や誠実性も評価対象になります。「知らない」と書くこと自体がリスクになる場合がある。この点を十分に意識することが不可欠です。

8. 否認と抗弁の関係整理

 労働審判の答弁書では、「否認」と「抗弁」を混同しないことが重要です。会社経営者としては、この二つの役割の違いを明確に理解しておく必要があります。

 否認とは、申立人の主張する事実について「その事実は存在しない」「そのとおりではない」と争うことです。一方、抗弁とは、仮に申立人の主張を前提としても、なお会社側が法的に勝つための独自の事実を主張することです。

 例えば残業代請求事件で、

  • 「月80時間の残業をした」という主張を争うのが否認です。
  • 「仮に一定時間の残業があったとしても、固定残業代として既に支払済みである」と主張するのが抗弁です。

 解雇事案でも同様です。

  • 「問題行為は存在しない」と争うのが否認。
  • 「仮に一定の事実があったとしても、就業規則に基づき懲戒権を適法に行使した」と主張するのが抗弁です。

 会社経営者にとって重要なのは、否認だけでは足りない場面が多いという点です。否認が崩れた場合に備え、抗弁を用意しておくことで、リスクを分散できます。これが実務上の安全設計です。

 また、否認理由と抗弁事実は連動します。否認の理由を具体的に書くことで争点を明確化し、そのうえで抗弁を構造的に提示すれば、答弁書全体の論理が安定します。

 労働審判は短期決戦です。否認で守り、抗弁で攻める。この両輪を意識して書面を構成することが、会社経営者としての合理的な戦略です。

 否認と抗弁の整理ができていない答弁書は、論理構造が曖昧になり、説得力を欠きます。両者の役割を明確に区別し、体系的に配置することが、実務上極めて重要です。

9. 否認理由を記載しない場合の実務上の不利益

 労働審判の答弁書において否認理由を記載しない場合、会社経営者にとって具体的かつ現実的な不利益が生じます。これは単なる形式的問題ではなく、結果そのものに影響する実務上のリスクです。

 第一に、暫定心証が会社側に不利に形成される可能性があります。

 労働審判委員会は、申立書と答弁書から事案の骨格を把握します。理由なき否認が並んでいれば、「実質的な反論が弱い」「会社側は具体的事情を示していない」という印象を持たれかねません。この印象は、第1回期日の議論や和解提示額に直結します。

 第二に、争点整理が会社側に不利な形で進行するリスクがあります。

 否認理由が明確でなければ、どこに争いがあるのかが曖昧になります。その結果、申立人の提示する事実構成を前提とした議論が進み、会社側が本来強調すべき論点が十分に検討されない可能性があります。

 第三に、後からの主張補充が困難になる危険です。

 労働審判は迅速手続であり、「なぜ最初の答弁書で理由を書かなかったのか」という疑問を持たれれば、後出しの主張と受け止められることがあります。結果として、防御機会が実質的に制限されることもあります。

 第四に、和解交渉力の低下です。

 否認理由が具体的であれば、会社側の主張の強度が伝わり、解決水準の引下げ余地が広がります。理由のない否認では、会社側の本気度や根拠が伝わらず、不利な条件での解決を迫られる可能性があります。

 会社経営者として理解すべきなのは、否認理由の記載はコストではなく投資であるということです。書面段階で争点を明確にし、自社の立場を具体的に示すことが、最終的な損失の限定につながります。

 否認理由を書かないことは、安全策ではありません。それは実質的に主導権を手放す行為です。迅速手続である労働審判においては、理由を伴う否認こそが企業防衛の基本動作となります。

10. まとめ|否認は戦略であり、理由が説得力を生む

 労働審判の答弁書における否認は、単なる形式的作業ではありません。会社経営者にとって否認は、争点を設定し、自社の立場を明確に示す戦略的行為です。そして、その効果を生むのが「理由」の記載です。

 民事訴訟において否認理由の記載が求められている趣旨は、審理の充実と争点の明確化にあります。この要請は、迅速処理を前提とする労働審判においても変わりません。むしろ、短期間で方向性が決まる制度であるからこそ、否認理由の重要性は一層高まります。

 重要事実について理由なき否認を行えば、暫定心証の段階で不利な評価を受け、和解水準や審判内容に直接影響します。一方、具体的事実に基づく否認理由を記載すれば、争点が明確になり、会社側の主張の強度が伝わります。

 また、否認と抗弁を適切に組み合わせることで、リスクを分散し、書面全体の論理構造を安定させることができます。否認で守り、抗弁で補強する。この構造設計が、実務上極めて重要です。

 会社経営者として求められるのは、「とりあえず否認する」という受動的姿勢ではなく、「なぜ争うのか」を明確に示す能動的姿勢です。否認理由は、企業の合理性と管理体制の健全性を示す機会でもあります。

 労働審判は短期決戦です。書面段階でどれだけ説得力を持たせられるかが、結果を左右します。否認は戦略であり、理由こそがその戦略に説得力を与える――この認識を持つことが、企業防衛の基本となります。

 

参考動画

 

労働審判対応について網羅的に知りたい方へ

 本FAQでは、労働審判に関する個別の論点や実務上のポイントを解説していますが、

 労働審判の全体像や会社側としての対応戦略を体系的に理解したい方は、下記ページもあわせてご覧ください。

労働審判の会社側対応を網羅的に解説した特設ページ

労働審判の対応

この同ページでは、
・労働審判の基本的な流れ
・第1回期日の重要性
・会社側が準備すべき事項
・和解戦略の考え方
・訴訟移行を見据えた対応方針
など、会社経営者の視点から、労働審判対応の全体像を体系的に整理しています。

「労働審判を申し立てられたが、まず何から手を付けるべきか分からない」

「全体像を押さえたうえで戦略的に対応したい」
という場合に特に有益な内容となっています。

更新日2026/2/15

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