労働問題377 個別合意よりも社員に有利な労働条件を定めた労働協約、就業規則が存在する場合、個別合意だけでは賃金減額の効力は生じませんか。

この記事の要点

個別合意よりも社員に有利な労働条件を定めた労働協約・就業規則が存在する場合、それらの効力が個別合意に優先するため(労組法16条・労契法12条)、個別合意だけでは賃金減額の効力は生じない

「本人が同意したから大丈夫」という発想は、既存の協約・就業規則が上位にある限り通用しません

賃金減額を有効に行うためには、先に労働協約・就業規則を変更(または廃止)した上で個別合意を取得する手順が必要。手順を誤ると個別合意は無効のまま

賃金変更の手法(368番)・就業規則変更の要件(373番・375番)と合わせて理解する必要があります

01問題の所在。個別合意と労働協約・就業規則の優先関係

 368番・372番・373番では、賃金減額の方法として労働協約・就業規則変更・個別合意の3つを解説しました。これらの手法は相互に独立しているのではなく、法律上の優先順位が定められています。

 会社経営者が実際に賃金減額を行う際に見落としやすいのが、「個別合意を取得できれば十分」という誤解です。仮に社員が賃金減額に同意したとしても、その社員に適用される労働協約または就業規則がより高い賃金水準を保障している場合、個別合意だけでは減額の効力は生じません。この点を理解しないまま手続を進めると、賃金減額が法的に無効のまま運用されるという深刻な問題が生じます。

02労組法16条と労契法12条が定める優先関係

 個別合意よりも労働協約・就業規則が優先する根拠は、次の2つの法律に定められています。

労働協約・就業規則が個別合意に優先する法的根拠

①労組法16条(規範的効力):労働協約に定められた労働条件その他の基準に違反する労働契約(個別合意を含む)の部分は無効とされ、無効となった部分は労働協約の基準によって補充される。つまり、個別合意が労働協約よりも低い賃金を定めていても、労働協約の賃金水準が適用される(369番参照)

②労契法12条(就業規則の最低基準効):就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約(個別合意を含む)の部分は無効とされ、無効となった部分は就業規則で定める基準による。つまり、個別合意が就業規則よりも低い賃金を定めていても、就業規則の賃金水準が適用される

 これらの規定により、労働協約・就業規則が定める賃金水準は「最低基準」として機能し、個別合意によってそれを下回ることはできません。

03「個別合意だけ」では賃金減額の効力が生じない理由

 例えば、就業規則で「基本給月額30万円」と定めている場合に、社員から「月額25万円でいいです」という同意書を取得したとします。この場合、社員が自由に同意しているにもかかわらず、その個別合意(25万円)は就業規則の基準(30万円)を下回るため、労契法12条によって無効となります。その結果、就業規則の30万円が適用され続けることになります。

「本人が同意したから大丈夫」という発想の危険性

社員が口頭でも書面でも同意していても、既存の労働協約・就業規則がより高い賃金水準を保障している限り、個別合意の効力は協約・就業規則の基準の範囲内にとどまります。同意書を取得しただけで「賃金減額は完了した」と考えて運用を続けた場合、後に未払い賃金(削減した分の差額)の支払義務が発生するリスクがあります。

04正しい手順。先に協約・就業規則を変更することが必要

 個別合意よりも有利な労働協約・就業規則が存在する場合、賃金減額を有効に行うためには次の手順が必要です。

正しい手順

Step 1:存在する労働協約・就業規則を有効に変更(または廃止)する
Step 2:変更・廃止後の状態で個別合意を取得する(必要な場合)

 就業規則変更の場合には、合理性と周知が必要です(373番・375番参照)。労働協約の変更については労働組合との団体交渉が必要です(369番参照)。いずれの変更も、それ自体に要件があり、ハードルを越えなければ変更は無効となります。協約・就業規則の変更が有効に行われた後に、個別合意によって賃金減額の実効性を確保するという順序が正しい手順です。

 会社経営者としては、「個別合意を取得した」という事実に安心せず、「その前提となる協約・就業規則が適切に変更されているか」を必ず確認してください。この手順の誤りが、後に差額賃金の支払義務という形で顕在化するリスクの最大の原因となります。

05まとめ

 個別合意よりも社員に有利な労働条件を定めた労働協約・就業規則が存在する場合、それらの効力が個別合意に優先するため(労組法16条・労契法12条)、個別合意だけでは賃金減額の効力は生じません。賃金減額を有効に行うためには、先に労働協約・就業規則を有効に変更または廃止し、その後に個別合意を取得するという手順が必要です。「社員が同意したから完了」という発想は、既存の協約・就業規則が存在する限り通用しません。具体的な手順の設計については使用者側弁護士のサポートを受けながら進めることをお勧めします。アドバイスします。

SUPERVISOR 弁護士 藤田 進太郎

監修者

弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎

東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)

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Q&Aよくある質問

Q1. 就業規則を変更せずに、社員全員から個別合意書を取れば賃金を下げることはできますか。

A. できません。労契法12条により、個別合意が就業規則の基準を下回る場合、その部分は無効となり就業規則の基準が適用されます。就業規則を先に有効に変更した上で個別合意を取得するという手順が必要です(373番・375番参照)。

Q2. 労働協約がある場合と就業規則しかない場合で、手順は変わりますか。

A. 基本的な構造は同じです。労働協約がある場合は労組法16条、就業規則しかない場合は労契法12条が根拠となりますが、いずれも個別合意より協約・就業規則が優先するという結論は同じです。労働協約の変更には組合との団体交渉が、就業規則の変更には合理性と周知が必要です(369番・373番参照)。

最終更新日:2026年5月31日

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