賃金債権の相殺に対する労働者の同意の有効性の判断基準を教えて下さい。
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賃金全額払の原則は一方的相殺だけでなく、同意を得た相殺も原則として禁止する 日新製鋼事件最高裁平成2年11月26日判決は、賃金全額払の原則は使用者が一方的に相殺することを禁止するのみならず、使用者が労働者の賃金債権と相殺することをも禁止する趣旨をも包含すると判示しました。 |
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例外:労働者の自由な意思に基づく同意があれば相殺は有効となり得る 同意が「労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」ときは、同意を得た相殺は全額払の原則に違反しないと判示しました。 |
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「自由な意思に基づく」との認定は「厳格かつ慎重に」行われる 全額払の原則の趣旨に鑑み、同意が自由な意思に基づくものとの認定判断は、厳格かつ慎重に行わなければならないと同判決は明示しています。 |
目次
01日新製鋼事件最高裁判決の概要
日新製鋼事件最高裁平成2年11月26日第二小法廷判決は、使用者が労働者に対して有する債権(貸付金等)を労働者の賃金債権と相殺することの可否について、重要な判断基準を示した判例です。
同判決は、シンガーソーイングメシーン事件最高裁昭和48年1月19日第二小法廷判決(493番参照)を参照しつつ、賃金の相殺に対する同意の有効性についての判断枠組みを確立しました。使用者が社員への貸付金・立替金・損害賠償請求権等を賃金から「相殺したい」場面で必ず参照されるべき判決です。
02賃金全額払の原則が相殺も禁止する理由
同判決は、賃金全額払の原則(労基法24条1項本文)の趣旨について、「使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活を脅かすことのないようにしてその保護を図ろうとするものというべきであるから、使用者が労働者に対して有する債権をもって労働者の賃金債権と相殺することを禁止する趣旨をも包含する」と明示しました。
相殺が禁止されるのは、たとえ民法上は当事者の合意がなくても行える(民法505条)としても、賃金の安全確実な受領を保障するという労基法の趣旨からは、使用者の一方的な相殺も「事実上の控除」に当たるためです。
03同意による相殺が有効となるための要件
しかし同判決は、例外として、労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意した場合には、当該同意を得てした相殺は全額払の原則に違反しないと判断しました。
同意による相殺が有効となる要件
① 労働者がその自由な意思に基づき相殺に同意していること
② 当該同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在すること
③ 自由な意思に基づくとの認定判断は「厳格かつ慎重に」行われること
①と②は表裏の関係にあり、「自由な意思に基づく同意があった」かどうかは、「客観的に合理的な理由の存在」によって判断されます。形式的に同意書への署名があるだけでは、この要件を満たさない場合があります。
04「厳格かつ慎重な認定」の実務的意味
同判決が「右同意が労働者の自由な意思に基づくものであるとの認定判断は、厳格かつ慎重に行わなければならない」と付言したことは、実務上非常に重要です。
「厳格かつ慎重な認定」が求められるのは、労働者が使用者に対して事実上圧力をかけられやすい立場にあるためです。「相殺に同意しなければ不利益を受けるかもしれない」という状況下での署名は、形式的に同意書が存在しても「自由な意思」に基づくとは認められないリスクがあります。
裁判実務では、①社員が自発的・積極的に同意した事実、②同意前に十分な説明を受けた事実、③同意のための検討時間があった事実、④拒絶しても不利益がなかった状況、⑤一定の反対給付があった事実、などが客観的な合理的理由の存在を基礎付ける事情として考慮されます。
05実務上の安全な対応
社員への貸付金・立替金などを賃金から差し引きたい場合、最も確実な方法は賃金控除協定(労基法24条1項但書)を締結することです(492番参照)。協定を締結したうえで個別合意書を取得することで、相殺の適法性をより確かなものにできます。
協定なしで同意だけに頼る場合は、「厳格かつ慎重な認定」のハードルを念頭に置いた対応が必要です。具体的には、①相殺の内容(相殺する債権の種類・金額・時期)を書面で明確にする、②社員が内容を十分に理解したうえで同意するための時間的余裕を与える、③拒絶できる状況であることを確保する(同意しなくても不利益がない旨を明示する)、④可能であれば弁護士が同席するなど第三者の立会いを設ける、ことが重要です。
なお、退職時に未払賃金を相殺する合意は、退職という追い込まれた状況での同意として厳しく判断される傾向があります。退職金・未払残業代等を巡る合意は、特に慎重な対応が必要です。
監修者
弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
弁護士法人四谷麹町法律事務所代表弁護士の藤田進太郎です。私は、労働問題のストレスから会社経営者の皆様を解放したいという強い思いを持っており、日本全国各地の会社経営者のために、問題社員、労働審判、残業代トラブルなどの労働問題の予防解決に当たっています。問題社員、労働審判、残業代トラブルでお悩みでしたら、弁護士法人四谷麹町法律事務所にご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。
Q&Aよくある質問
Q1. 社員に100万円を貸し付けています。毎月の給与から「本人の同意のもと」5万円ずつ差し引いてきましたが、社員が退職時に「差し引きは無効」と言い始めました。どう対応すればよいですか。
A. まず賃金控除協定の有無・個別合意書の内容・合意に至った経緯の記録を確認してください。賃金控除協定が締結されていれば、適法な控除として対応できます。協定がなく同意書のみの場合は、「自由な意思に基づく同意」の立証が必要になります。同意書への署名があっても、合意の経緯(説明の内容・検討時間・任意性の担保)が記録されていなければ立証が困難になります。貸付金の返済義務については別途請求できますので、退職者への対応は弁護士に相談することをお勧めします。
Q2. 社員が会社の備品を破損しました。修理費を賃金から差し引いてよいですか。
A. 賃金からの相殺・控除には、賃金全額払の原則(労基法24条1項)が適用されます。社員の故意・重大な過失による損害賠償請求権が存在する場合でも、賃金との相殺には①賃金控除協定の締結か②日新製鋼事件判決の基準を満たす「自由な意思に基づく同意」が必要です。また、懲戒処分としての減給を行う場合は労基法91条の上限制限も適用されます(490番参照)。一方的に差し引くことは避け、弁護士に相談のうえ対応してください。
Q3. 「相殺に同意します」という一文が入った雇用契約書に署名させていれば問題ありませんか。
A. 入社時の雇用契約書に一般的な相殺同意条項を入れておいても、実際に相殺を行う時点での「自由な意思に基づく同意」の要件は別途判断されます。包括的・予防的な同意条項は、個別の相殺に対する真意の同意として認められない可能性があります。各相殺の都度、その内容を明示した個別合意書を取得することをお勧めします。なお、最も確実なのは賃金控除協定の締結です。
Q4. 使用者が一方的に行う相殺と、同意を得た相殺では、法的にどう違いますか。
A. 使用者が一方的に行う相殺は、賃金全額払の原則に違反し、直ちに違法・無効になります(30万円以下の罰金の可能性、労基法120条1号)。同意を得た相殺は、その同意が「自由な意思に基づくものと認めるに足る合理的な理由が客観的に存在する」場合には合法ですが、「厳格かつ慎重な認定」が必要とされます。どちらの場合も、賃金控除協定の締結が最も確実な対応です(492番参照)。
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最終更新日:2026年2月25日