賃金減額に対する同意の有効性の判断基準を教えて下さい。
|
1
|
既発生の賃金債権の減額には「自由な意思」に基づくことが明確であることが必要 すでに発生した賃金債権を減額する同意は、賃金債権の一部放棄にほかならないため、シンガーソーイングメシーン事件(昭和48年)と同様の基準が適用されます。 |
|
2
|
未発生の賃金(将来の賃金)の減額は通常の合意で足りる 将来の賃金を引き下げることへの合意は、労使が合意により将来の賃金額を変更した(労働契約法8条)にすぎず、通常の同意で足りると考えるべきです(北海道国際空港事件最高裁平成15年)。 |
|
3
|
いずれも書面での同意を取ることが不可欠。黙示の同意認定は困難 賃金減額に対する同意の認定は慎重になされることが多く、賃金減額に異議を述べなかった程度で黙示の同意を認定してもらうことは困難です。 |
目次
01「既発生の賃金」と「未発生の賃金」で異なる判断基準
賃金減額への同意の有効性を検討する際、まず「減額しようとしているのが既発生の賃金か、それとも未発生の(将来の)賃金か」を区別することが重要です。この区別によって適用される法的判断基準が異なります。
既発生 vs 未発生の賃金:判断基準の違い
既発生の賃金債権の減額
すでに支払期が来ている・または支払日を超えて未払いとなっている賃金の減額。賃金債権の一部放棄にあたる。→ 「自由な意思に基づくことが明確」でなければならない(シンガーソーイングメシーン事件最高裁昭和48年判決と同様の基準)。
未発生の賃金の減額(将来の賃金引下げ)
これから支払われる賃金の額を合意によって引き下げること。労使間の将来の賃金合意の変更にすぎない。→ 通常の合意で足りる(労働契約法8条参照)。
02既発生の賃金債権の減額:「自由な意思」が明確であることが必要
すでに発生している賃金債権を減額することへの同意は、既発生の賃金債権の一部を放棄することにほかなりません。そのため、それが有効であるというためには、労働者の自由な意思に基づいてされたものであることが明確である必要があります(シンガーソーイングメシーン事件最高裁昭和48年1月19日第二小法廷判決。493番参照)。
「自由な意思に基づくことが明確」かどうかは、当該意思表示が労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在するかどうかによって判断されます。
具体的に問題になりやすいのは、例えば「先月分の残業代の一部を免除してほしい」「ミスをした月の給与から損害分を差し引くことに同意する」といった場面です。このような場合は、使用者と労働者の力関係を考慮すると、形式的な同意書があっても「自由な意思に基づく」と認定されないリスクがあります。
03未発生の賃金の減額:通常の合意で足りる
将来の賃金を引き下げることへの同意については、「賃金債権の放棄と同視すべきものである」とする裁判例もありますが、「未発生の」賃金債権の減額に対する同意は、労働者と使用者が合意により将来の賃金額を変更したにすぎず(労働契約法8条参照)、賃金債権の放棄と同視することはできません。通常の合意で足りるものと考えるべきでしょう(北海道国際空港事件最高裁平成15年12月18日第一小法廷判決参照)。
例えば、業績悪化を理由として翌月以降の給与水準を引き下げることについて、社員個人と合意する場合がこれにあたります。この場合、通常の合意(書面での合意等)があれば有効と認められる方向で判断されます。
ただし、「通常の合意で足りる」とはいっても、賃金減額への同意は一般的に慎重に認定される傾向があります。また、口頭の同意だけでは後にトラブルになった際の立証が困難ですので、書面での同意が実務上不可欠です。
04黙示の同意は認定されにくい
賃金減額に対する同意の認定は慎重になされることが多いです。賃金減額に異議を述べなかったという程度で黙示の同意を認定してもらうことは、困難なケースが多いものと思われます。
例えば、「翌月から給与明細を見て、引き下げられた金額が記載されていたが黙って受け取り続けた」という状況では、黙示の同意があったとは認定されにくいです。使用者としては、黙示の同意に依存するリスクが高いと認識してください。
「異議を言わなかった=了解した」という判断が通用しないのは、労働者が使用者に対して異議を述べることが事実上困難な立場に置かれているためです。賃金問題に関しては、明示的な合意を確認することが必須です。
05就業規則との関係に注意
賃金減額の同意を得る際に必ず確認すべき重要な点があります。就業規則で定める基準に達しない賃金額を合意してもその合意は無効となり、就業規則で定める賃金額が適用されます(労働契約法12条)。
つまり、個別の合意で就業規則を下回る賃金額を定めることはできません。就業規則に「基本給○○円以上」と定めてある場合、個人との合意でその額を下回る賃金を定めても、就業規則の基準が優先されます。
そのため、賃金減額の同意を得る際には、以下の手順をとることが必要です。まず減額後の賃金額が就業規則の定めに抵触しないかを確認します。抵触する場合には、就業規則の変更(合理的な変更であることが必要、労働契約法10条)に対する同意も同時に取得して、就業規則の定めを変更しなければなりません。
06実務上の対処方法
賃金減額を行う場合の実務上の対処としては、以下を徹底することをお勧めします。
第一に、書面(合意書)で同意を取得することです。賃金減額の内容(減額の対象・減額幅・適用開始時期)を明記した合意書を作成し、署名・押印を得ることが最低限必要です。
第二に、合意の経緯を記録しておくことです。いつ、どのような説明をして、社員がどのような状況で合意したかを記録しておくと、後に紛争になった際の立証に役立ちます。
第三に、社員が合意を検討するための時間的余裕を確保することです。即日に署名を求めるようでは、「自由な意思に基づく」とは認定されにくくなります。
第四に、就業規則との整合性を確認することです(前述のとおり)。
監修者
弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
弁護士法人四谷麹町法律事務所代表弁護士の藤田進太郎です。私は、労働問題のストレスから会社経営者の皆様を解放したいという強い思いを持っており、日本全国各地の会社経営者のために、問題社員、労働審判、残業代トラブルなどの労働問題の予防解決に当たっています。問題社員、労働審判、残業代トラブルでお悩みでしたら、弁護士法人四谷麹町法律事務所にご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。
Q&Aよくある質問
Q1. 業績不振を理由に翌月から給与を20%下げる合意書を社員に署名させようとしています。注意点を教えてください。
A. 翌月以降の賃金(未発生の賃金)の引下げですので、通常の合意で足りると考えられます。ただし、①就業規則の定める基準を下回らないかを確認する(下回る場合は就業規則変更も必要)、②合意書に減額の内容・開始時期を明記する、③社員が検討する時間的余裕を与える、④一対一の交渉ではなく第三者(弁護士等)が同席するなど合意の任意性を担保する方策を講じる、ことが重要です。後に「合意は強制だった」と主張されるリスクを極小化してください。
Q2. 問題社員が引き起こした損害について、今月の給与から弁償させる合意を取りたいのですが。
A. 今月の給与(まだ支払期が来ていない場合)からの控除であれば未発生の賃金の減額として考えられますが、実態は損害賠償請求権と賃金の相殺に近い面もあります。賃金全額払の原則(労基法24条1項)との関係で、賃金控除協定の締結または日新製鋼事件判決の基準を満たす自由な意思に基づく同意が必要になります(492番・494番参照)。また、労基法91条の減給制裁の上限(490番参照)が問題になる場合もあります。弁護士に相談のうえ対応してください。
Q3. 就業規則で定める賃金の下限よりも低い額に減額する合意は有効ですか。
A. 無効です(労働契約法12条)。就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める合意は、その部分が無効となり、就業規則の基準が適用されます。就業規則の基準を下回る賃金に減額したい場合は、まず就業規則を変更(合理性が必要、労働契約法10条)し、その上で個別合意を得るという手順が必要です。
Q4. 減額に合意した社員が後から「合意は無効だ」と主張してきました。どう対応すればよいですか。
A. 合意書・交渉経緯の記録・説明に使用した資料等を証拠として確保し、合意が社員の自由な意思に基づくものであったことを立証する準備をしてください。合意の過程で社員に十分な説明と検討時間を与えた事実、社員が積極的に合意した事実などが重要な証拠になります。同時に、就業規則との整合性を確認し、問題がある場合は早急に弁護士に相談してください。
Q5. 個別の合意なしに就業規則の変更だけで賃金を引き下げることはできますか。
A. 就業規則の不利益変更(賃金引下げ)は、労働者の同意があれば可能ですが、同意なしに就業規則変更だけで実施するには「合理性」が必要です(労働契約法10条)。合理性の判断は、変更の必要性・内容の相当性・代替措置の有無・組合等との交渉経緯等を総合的に考慮して行われます。使用者側弁護士に相談のうえ、慎重に進めることをお勧めします。
関連ページ
最終更新日:2026年2月25日