問題社員141 残業時間を実際より短く申告する。
目次
動画解説
1. 正確な現状把握ができなければ正しい経営判断はできない
残業時間を実際よりも短く申告する社員の問題に直面したとき、会社経営者としてまず考えるべきことは、正確な現状把握の重要性です。どれほど優れた経営判断能力を持っていても、その前提となる情報が誤っていれば、精度の高い判断はできません。
残業時間の過少申告は、一見すると会社に有利に思えるかもしれません。残業代の支払いが少なく済むからです。しかし、それは表面的な話にすぎません。実態と異なる労働時間情報が経営者に報告されるということは、経営判断の土台そのものが歪められている状態を意味します。
たとえば、本来は業務量が過大であるにもかかわらず、申告上は残業が少ないことになっていれば、人員配置や業務改善の判断を誤ります。逆に、集中力の問題や体調の問題が潜在している場合でも、それに気づく機会を失うことになります。
社員本人の動機が「会社に迷惑をかけたくない」「残業代をもらうのが申し訳ない」といった善意であったとしても、正確な情報伝達を妨げる行為は容認できません。 経営判断を誤らせる行為は、結果的に会社全体に損失をもたらします。
さらに問題なのは、誤った情報が常態化すると、経営者が実態を知らないまま意思決定を行う「裸の王様」の状態に陥ることです。どんなに優秀な会社経営者であっても、誤情報を前提にすれば正しい判断はできません。
したがって、まず徹底すべきは、労働時間の正確な申告を義務付ける姿勢の明確化です。過少申告であっても容認しないというメッセージを発信し、正しい情報が必ず経営者のもとに届く体制を整えることが、すべての出発点となります。
2. 残業時間の過少申告がもたらす経営リスクとは
残業時間を実際より短く申告する行為は、一見すると「会社にとって得をしている」ように見えるかもしれません。しかし、会社経営者の視点から見れば、それは重大な経営リスクの芽にほかなりません。
最大の問題は、実態として残業が行われているにもかかわらず、申告上は短時間になっているという点です。この状態は、将来的に未払残業代が発生している可能性を内包しています。たとえ本人が請求する意思を持っていなくても、客観的に未払状態であれば法的問題は消えません。
さらに、会社が「知らなかった」と主張しても、実際に残業している様子を上司が認識していた、あるいは認識し得た状況にあれば、「黙示の残業命令」があったと評価される可能性があります。その結果、過少申告分を含めた残業代の支払義務を負うことになります。
加えて、労働基準監督署の調査が入った場合、客観的記録と申告内容に乖離があれば、是正勧告の対象となり得ます。労基法違反は単なる金銭問題にとどまらず、企業の信用問題に直結します。
また、経営判断の観点からも看過できません。実態より少ない残業時間を前提にすれば、業務量の適正化や人員配置の判断を誤るおそれがあります。結果として、組織全体の生産性を低下させる可能性もあります。
本人の動機が善意であっても、会社にとっては「ありがた迷惑」となり得るのです。会社経営者としては、過少申告を放置すること自体がリスクであるという認識を持ち、早期に是正措置を講じる必要があります。
3. 労働密度が低くても「労働時間」と評価される理由
会社経営者の中には、「だらだら残っているだけなら、実質的な労働時間は短いのではないか」と考える方もいらっしゃいます。しかし法的には、労働密度が低いことと労働時間性は別問題です。
たとえば、本来であれば1時間で終わる業務を、集中力が続かず3時間かけて行っていた場合でも、その3時間が会社の指揮命令下に置かれていたのであれば、原則として3時間全体が労働時間と評価されます。途中でぼんやりしていた、作業効率が悪かった、といった事情は、労働時間の切り縮めの根拠にはなりません。
労働時間と認められないためには、「完全に労働から解放されている」状態であることが必要です。単に効率が悪い、密度が低いというだけでは足りません。
この点を誤解していると、「実質は1時間分だから1時間分だけ払えばよい」という誤った処理をしてしまいかねません。しかし、裁判になれば、会社が労働時間でないことを立証できない限り、在社して業務に従事していた時間全体が労働時間と判断される可能性が高いのが実務です。
さらに問題なのは、上司や会社経営者がその状況を認識しながら放置していた場合です。「明示的に残業を命じていない」という主張は、必ずしも通用しません。実態として残業を黙認していれば、法的には残業を命じたのと同様に評価されることがあります。
したがって、「密度が低いから実労働時間は短い」という発想は極めて危険です。会社経営者としては、在社時間=労働時間と評価され得るという前提で管理体制を整備する必要があります。
4. 黙示の残業命令と未払残業代請求の危険性
「会社は残業を命じていない」「本人が勝手に残っているだけだ」――このように考える会社経営者も少なくありません。しかし、法的評価はそれほど単純ではありません。
実務上問題となるのが、黙示の残業命令という考え方です。これは、明確な指示がなくても、会社が残業の事実を認識しながら放置していた場合に、実質的に残業を命じたのと同様に評価されるというものです。
たとえば、上司が社員の長時間在社を日常的に把握しており、業務も進められている状況で何ら是正措置を取らなかった場合、「会社は残業を容認していた」と判断される可能性が高くなります。その結果、申告より長い実労働時間が認定され、未払残業代の支払義務が発生することになります。
ここで厄介なのは、本人が善意で過少申告していたとしても、その善意は法的評価にほとんど影響しないという点です。裁判になれば、客観的な在社記録やメール送信時刻、入退館履歴などが重視されます。そして、それらの記録に基づいて労働時間が認定されます。
さらに、未払残業代は過去に遡って請求されます。場合によっては多額となり、付加金や遅延損害金の問題も生じます。単なる数十分の積み重ねであっても、長期間続けば無視できない金額になります。
会社経営者として理解すべきなのは、「命じていない」では足りないということです。残業をさせない管理をしているかどうかが問われます。放置は、命令と同じ評価を受け得るのです。
したがって、過少申告が発覚した場合には、単に修正させるだけでなく、残業の承認プロセスや管理体制そのものを見直す必要があります。それが、予期せぬ未払残業代請求を防ぐ唯一の方法です。
5. 労基法違反とコンプライアンスリスク
残業時間の過少申告を放置することは、単に将来の未払残業代請求の問題にとどまりません。より本質的なのは、労働基準法違反というコンプライアンス上の重大リスクを抱える点です。
仮に社員本人が「請求するつもりはない」と考えていたとしても、実際の労働時間に対して十分な残業代が支払われていなければ、それは客観的に未払賃金の状態です。未払賃金が存在するという事実そのものが、法令違反のリスクを意味します。
特に注意すべきは、労働基準監督署の調査です。タイムカード、入退館記録、PCログなどの客観的記録と申告内容に大きな乖離があれば、是正勧告の対象となる可能性があります。会社経営者として「知らなかった」と説明しても、管理体制の不備と評価される危険があります。
さらに、現代はコンプライアンスが企業価値と直結する時代です。対外的には「法令遵守を徹底する」と掲げながら、内部で未払賃金が発生しているとなれば、企業の信頼性は大きく損なわれます。法令違反は金銭問題にとどまらず、ブランド価値の毀損につながるのです。
過少申告を「会社にとって有利な行為」と誤解してはいけません。むしろ、会社を危険な状態に置く行為です。結果として、知らない間に法令違反状態を作り出してしまうことになりかねません。
会社経営者としては、残業時間の管理を形式的に任せきりにするのではなく、実態と記録が一致しているかを定期的に確認する体制を整える必要があります。それこそが、労基法違反の芽を摘み、企業の信用を守る最も現実的な対応です。
6. 体調悪化リスクと安全配慮義務の問題
残業時間の過少申告問題は、未払残業代や労基法違反だけの話ではありません。会社経営者として見落としてはならないのが、体調悪化と安全配慮義務の問題です。
「仕事に集中するのが苦手で、だらだら残業している」という説明を、そのまま能力や姿勢の問題として片付けてよいのでしょうか。もしかすると、集中したくてもできない状態、すなわち体調不良やメンタル面の問題が潜在している可能性もあります。
仮に体調が万全であれば、本来は短時間で終えられる業務を、集中できずに長時間かけてしまうという状態は不自然です。気力の低下や睡眠不足、ストレスなど、何らかの要因が影響していることも十分に考えられます。
そのような状態で、労働密度が低いとはいえ長時間在社を続ければ、さらに体調が悪化するおそれがあります。結果として、休職や退職に至れば、会社にとっても大きな損失です。
会社には、従業員の生命・身体の安全を確保する安全配慮義務があります。長時間労働が常態化していることを認識しながら放置し、体調を悪化させてしまえば、法的責任が問われる可能性も否定できません。
特に注意すべきは、「本人が望んで残業している」という事情では免責されない点です。会社が残業の実態を把握し得たにもかかわらず、適切な是正措置を取らなかった場合、安全配慮義務違反が問題となり得ます。
会社経営者としては、単に労働時間の数字を見るのではなく、その背景にある事情にも目を向ける必要があります。場合によっては、「早く帰って休むように」と指示することも、経営判断として重要です。
残業時間の過少申告は、単なる数字の問題ではありません。そこには、法的リスクと健康リスクの両面が潜んでいることを理解し、慎重に対応することが求められます。
7. 面談によるヒアリングの重要性
残業時間を実際より短く申告する社員がいる場合、会社経営者としてまず行うべき具体的対応は、面談による丁寧なヒアリングです。
なぜそのような申告をしているのか。動機は何か。業務上の困難はないか。体調面に問題はないか。これらを確認せずに、制度や管理だけを強化しても、根本的な解決にはなりません。
実際にヒアリングを行うと、「仕事に集中するのが苦手で、だらだら残業してしまう」「残業代を満額もらうのは申し訳ないと思った」といった説明が出てくることがあります。ここで重要なのは、善意の動機であっても過少申告は容認できないという点を明確に伝えることです。
会社経営者の役割は、社員の気持ちを否定することではありません。しかし同時に、正確な労働時間把握が不可欠であることを理解してもらう必要があります。正確な情報がなければ、経営判断を誤り、結果として社員自身を守ることもできなくなります。
また、ヒアリングの場は、単なる事実確認にとどまりません。集中できない背景に体調不良や過度のストレスがある可能性もあります。その兆候を把握できるのは、対話の場だけです。
面談は一度きりで終わらせるものではありません。今回のような事案が生じた場合には、今後も継続的に状況を確認する姿勢が重要です。定期的な対話を通じて、申告の適正化と業務状況の改善を図ります。
会社経営者としては、管理強化だけに頼るのではなく、対話を通じて実態を把握し、リスクの芽を早期に摘むことが求められます。正しい情報は、命令ではなく、信頼関係の中から生まれる側面もあるからです。
8. 残業管理の厳格化と客観的記録の照合
過少申告が判明した以上、会社経営者として次に取るべきは、残業管理の具体的な厳格化です。単に「正しく申告してください」と伝えるだけでは、再発を防ぐことはできません。
今回のようなケースは、多くの場合、残業について社員の裁量を比較的広く認めている環境で発生します。「必要なら残業してよい」「自己判断で進めてよい」という運用が前提となっていることが少なくありません。しかし、過少申告という事実が生じた以上、一定期間は管理方法を見直す必要があります。
まず重要なのは、客観的記録との定期的な照合です。タイムカード、入退館記録、PCログなどの客観的データと、本人の申告時間を毎月確認する体制を整えます。数分単位の差異であれば問題視しないとしても、30分や1時間単位の乖離がある場合には、必ず理由を確認する運用を徹底します。
ここでのポイントは、「疑う」という姿勢ではなく、「正確な把握のため」という一貫した方針を明確にすることです。特定の社員を狙い撃ちする印象を与えないよう、一定の基準に基づいた運用を行うことが重要です。
また、残業を行うかどうか、どの程度の時間行うかについて、一定期間は上長の事前承認を必須とするなど、裁量の幅を限定する措置も有効です。過少申告が再発しないことが確認できるまでは、管理を強めることが合理的といえます。
重要なのは、「会社が残業実態を把握し、管理している」という状態を作ることです。これにより、未払残業代請求や労基署対応の場面でも、「会社として適切な管理を行っていた」と説明できる体制が整います。
過少申告問題は、管理の甘さを映し出す鏡でもあります。会社経営者としては、再発防止と証拠保全の両面から管理体制を再構築することが求められます。
9. 裁量の見直しと再発防止の具体策
残業時間の過少申告が発覚した場合、会社経営者として検討すべきは、単なる一時的是正ではなく、裁量の与え方そのものの見直しです。
今回のような事案は、多くの場合、社員に比較的広い残業裁量を認めている環境で生じます。「必要なら残業してよい」「自己判断で時間を調整してよい」という運用は、信頼を前提とした仕組みとしては望ましい面もあります。しかし、その裁量が適切に機能していないことが判明した以上、一定の修正は避けられません。
具体的には、残業の事前申請制や上長の明確な承認プロセスを導入する、あるいは一定時間を超える残業については個別に確認を行うなど、残業実施のコントロールを強める措置が考えられます。
また、業務の進め方そのものを見直すことも重要です。集中できない状態が続いているのであれば、業務量が適切か、業務の優先順位が明確か、指示が曖昧ではないかといった点を検証します。単に労働時間だけを管理しても、根本原因が解消されなければ再発の可能性があります。
さらに、一定期間は特に注意を払い、残業の実態と申告内容に乖離がないかを継続的に確認します。問題が解消され、適正な申告が安定的に行われていることが確認できれば、他の社員と同様の管理水準に戻すことも可能です。
ここで重要なのは、「信用していない」というメッセージを発するのではなく、会社として正確な現状把握を徹底する方針であることを明確にすることです。管理の強化は、処罰ではなく、再発防止と法的リスク回避のための合理的措置です。
会社経営者としては、個別事案を契機に、制度全体を点検し、必要な修正を行う姿勢が求められます。それが、長期的に見て最も安定した経営につながります。
10. 会社経営者が「裸の王様」にならないために
残業時間の過少申告問題の本質は、単なる勤怠管理の不備ではありません。最大の問題は、経営判断の前提となる情報が歪められていることにあります。
どれほど優れた判断力を持つ会社経営者であっても、誤った情報を前提にすれば、正しい結論には到達できません。労働時間が実態より短く報告されていれば、人員配置も業務設計も誤ります。体調悪化の兆候も見逃します。結果として、会社全体が誤った方向へ進みかねません。
これは、いわば「裸の王様」の状態です。周囲が善意や遠慮から真実を伝えない、あるいは仕組み上正確な情報が上がってこない。その結果、経営者だけが実態を知らないまま判断を下してしまうのです。
過少申告は、たとえ本人が善意であっても、会社経営者の目を曇らせる行為です。したがって、これを容認することはできません。正しい判断を行うためには、正しい情報が必ず届く仕組みを構築することが不可欠です。
未払残業代リスク、労基法違反リスク、安全配慮義務の問題――これらはすべて、「正確な現状把握」ができていれば未然に防げる可能性があります。逆に言えば、情報が歪められたままでは、どれだけ能力があってもリスクを回避することはできません。
残業管理の問題は、企業統治そのものの問題です。
会社経営者として、正確な労働時間管理体制を整備し、過少申告を許さない姿勢を明確にすること。それが、法的リスクを回避し、企業価値を守るための第一歩です。
残業時間管理の在り方や制度設計について不安がある場合には、個別事情を踏まえた法的整理が不可欠です。問題が表面化する前の段階で、労務問題に精通した弁護士へご相談いただくことで、将来の紛争リスクを大幅に低減することが可能です。
経営判断を誤らないためにも、正確な情報を基盤とした強い組織づくりを進めていきましょう。
最終更新日2026/2/28

