本ページの基となる解説動画
本ページの解説内容は、藤田進太郎弁護士による解説動画「残業の事前許可制を採っているのに、事前の許可なく残業を行い、残業代を請求する社員への対応策」「『仕事が忙しい』と言って勝手に早出残業する」「残業する理由が不明な社員の対処法」の3本を素材として、当事務所が統合的に文章化しているものです。本ページの記載と動画の内容に齟齬がある場合や、より詳しい解説をご覧になりたい場合は、動画を直接ご視聴ください。
三つの類型と共通する運用課題
本ページで扱うのは、経営者が「おかしい」と感じながら踏み込めないまま残業が発生している、次の三つの類型です。
類型1:事前許可制があるのに無許可で残業する社員
会社として残業の事前許可制を導入しているにもかかわらず、申請なしに勝手に残業し、退職後に残業代を請求してくるケースです。在職中には人間関係の配慮から請求を控えていた社員が、退職して関係が切れた瞬間に、過去の無許可残業分をまとめて請求するというパターンが典型です。
「事前許可がなかったのだから払わなくてよい」と考えて処理していた会社が、裁判や労働審判で敗北し、数十万円から数百万円の残業代支払を命じられるケースが後を絶ちません。この類型は、事前許可制という仕組みそのものは導入しているのに、運用が緩い会社で最も頻発します。
類型2:「仕事が忙しい」と言って勝手に早出残業する社員
会社の方針として早出残業を前提としていないにもかかわらず、「仕事が忙しい」という理由で勝手に所定始業時刻より早く出社して業務を開始している社員への対応です。通常の終業後残業と違って、管理職が出社していない早朝の時間帯で行われるため、経営者が気づきにくく、放置されやすいのが特徴です。
一見すると「忙しい本人が頑張っている」ように見えますが、会社の方針と異なる時間帯の勤務を黙認することは、組織の秩序と労働時間管理の双方を揺るがす行為です。後述の通り、早出残業の必要性を会社が検証せずに放置していると、残業代支払義務と安全配慮義務違反のリスクを抱え続けることになります。
類型3:仕事量が少ないのに残業が続く理由不明の社員
仕事量は決して多くないはずなのに、特定の社員が毎月30時間以上の残業を続けている——経営者にとって「残業代目的ではないか」と疑いたくなるが、根拠が明確でないため確認できないまま時間が過ぎていく、というケースです。
この類型は、「疑っているけど聞けない」まま放置されると、会社の組織規律、他の社員の公平感、残業代コスト、本人の健康リスクのすべてが長期的に悪化していきます。マネジメントの不全が露呈している状態であり、会社として見過ごすべきではありません。
三類型に共通する本質
これら三類型に共通する本質は、「残業の必要性を誰が判断し、どう記録するか」という仕組みが機能していないことです。残業の必要性は、本来、会社(使用者)が判断し、指示するものです。それが社員本人の裁量に流れてしまうと、本人の都合で残業が発生し、会社は後から残業代を支払う、という構造が生まれます。
したがって、三類型いずれの対処も、会社が残業の必要性を判断する権限を取り戻し、仕組みとして機能させることが中心となります。個別の社員への注意に終わらず、運用ルールそのものを見直す視点が欠かせません。
事前許可制の法的意味と限界
残業の事前許可制とは、会社が残業を必要と判断した場合にのみ、所定の申請・許可手続を経て残業を行う仕組みです。無許可の残業は労働時間として扱わない、という会社の意思表示を制度化したものと言えます。
事前許可制の法的根拠
労働時間は、判例上、使用者(会社)の指揮命令下に置かれた時間と定義されます(最高裁平成12年3月9日判決・三菱重工業長崎造船所事件)。残業時間も同様に、会社の指示に基づいて業務に従事している時間が労働時間となります。
この定義を前提にすれば、事前許可制を採用している会社では、「許可のない残業は会社の指示に基づかない時間であり、労働時間にあたらない」という論理が成立し得ます。会社として残業を指示していないのだから、無許可の残業は労働時間ではなく、残業代も発生しない、という整理です。
また、無許可残業はそもそも社内ルール違反でもあります。会社が定めた許可手続を経ずに勝手に残業する行為は、会社の秩序を乱す行為として、注意指導の対象になります。会社として本来は許されるべきでない行為なのです。
事前許可制の限界:制度だけでは機能しない
ところが、実務では「事前許可制を採用しているのに、無許可残業に残業代を支払う結果となる」会社が圧倒的多数を占めます。これは、事前許可制の制度自体が弱いからではなく、運用が徹底されていないためです。
制度として事前許可制を導入していても、次のような実態がある会社は、残業代請求の局面で事前許可制を盾にした防御が困難になります。
一つ目は、無許可残業を上司・管理職が目撃していながら止めていない状態。気づいているのに何も言わない、そのまま退出を促さない、タイムカードの長時間記録を確認しても何もしない、というケースです。
二つ目は、タイムカードや日報で無許可残業が記録されているのに、照合・対応がなされていない状態。所定終業時刻より遅い打刻、日報の長時間記録が残っているのに、人事・労務部門が無視している状態です。
三つ目は、無許可残業への注意指導・処分が実施されていない状態。「今回だけは認めてあげよう」という個別対応を繰り返していると、事前許可制の規範性が失われていきます。
これらいずれかに該当すると、裁判所は「制度として事前許可制はあるが、会社は実際には黙認している」と評価します。結果として、無許可残業も労働時間として認定され、残業代支払義務が発生するのです。
無許可残業を黙認した場合の帰結
無許可残業を黙認した場合、裁判所はこれを「黙示の残業命令」と評価し、会社側の責任を認定する傾向があります。この法理を理解しておくことが、事前許可制の運用判断で最も重要です。
「黙示の命令」と評価される構造
経営者の感覚としては「命令した覚えはない」としても、職場は本来仕事をする場所です。そこで社員が業務らしきことをしているのを、会社が「知りながら放置」していれば、裁判所はこれを黙認と評価し、黙認=黙示の命令があったと認定します。
「命令」という言葉が強すぎるという印象を持つ経営者もいらっしゃいますが、この点は「黙認していたも同然」と翻訳して理解するとわかりやすいでしょう。雇う側と雇われる側には一定の指揮命令関係があるため、上位者が黙認している状態は、下位者から見れば「会社は許容している」と受け取られる、という評価構造です。
知り得た状況か、真に知り得なかった状況か
例外的に「真に会社が知り得なかった状況」での残業は、労働時間性が否定されやすいです。具体的には、深夜の時間帯にこっそり会社に入って作業していた場合、会社が把握していない持ち帰り残業、といったケースです。
ただし、会社は労働安全衛生法により労働時間を客観的に把握する義務を負っています。タイムカード・勤怠システム・入退館記録・日報などで労働時間を管理している会社では、「知らなかった」という反論は通りにくくなります。これらの記録から「長い在社時間」「長時間の業務遂行らしき記録」が確認できるにもかかわらず対応していなければ、「知り得た状況で黙認した」と認定される方向に働きます。
退職後の請求で露呈するリスク
無許可残業に対する残業代請求は、在職中の社員よりも退職後の社員から行われるケースが圧倒的に多いのが特徴です。在職中は人間関係への配慮から請求を控えていた社員が、退職して会社との関係が切れると、過去の残業分をまとめて請求する動きが出てきます。
2020年労基法改正で時効は原則5年、当分の間3年となっており、3年分がまとめて請求される事案では、合計金額が数十万円から数百万円に及ぶことも珍しくありません。加えて、裁判で認容されれば付加金(同額以下)と遅延損害金(在職中は年3%、退職後は年14.6%)が上乗せされ、実質的な支払総額は請求本体の2倍近くに膨らむこともあります。
「労働密度」の低さは反論材料になるが証明が困難
会社側としては「確かに在社していたが、ダラダラとネット閲覧や雑談をしており、労働密度は低かった」と反論したい局面もあります。実際、仕事らしき動きと雑談・休憩・私用が混在している中で、労働時間として主張されている全ての時間に労働実態があったとは言いにくいケースはあります。
しかし、この反論を裁判所で認めてもらうには、具体的な客観証拠が必要です。株式取引のログが長時間記録されている、勤務時間中に長時間動画視聴をしていたログがある、といったレベルの証拠があれば否定可能ですが、通常の会社では日常的にそのような証拠を保有していません。反論は理論的に可能でも、立証が困難なのが実情であり、予防的に対応する方が圧倒的に合理的です。
勝手な早出残業への対応
「仕事が忙しい」と言って勝手に早出残業をする社員への対応は、通常の終業後残業とは違う難しさを持ちます。管理職が出社していない早朝の時間帯に行われるため、会社の目が届きにくく、放置されやすいのが特徴です。
「必要な早出残業」と「勝手な早出残業」の区別
早出残業は、絶対に否定すべきものではありません。会社として早朝業務の必要性を認め、早出残業を指示している場合には、労働時間として適正に取り扱い、残業代を支払うことになります。これは会社の方針としての選択であり、問題ではありません。
問題となるのは、会社の方針として早出残業を認めていないにもかかわらず、本人が勝手に早朝出社して業務を開始しているケースです。「勝手に」という表現自体が、会社の方針と異なる行動であることを示しています。会社として早出残業を認めない方針であるならば、実際にそれを止める必要があります。
面談による状況確認
勝手な早出残業を止めるには、面談による状況確認が最も効果的です。会議室などの静かな場所に呼んで、経営者または人事担当者が本人と一対一で話します。距離的に離れた事業所であれば、Zoomやteamsを活用したオンライン面談でも同等の効果があります。
面談で確認すべき内容は以下のとおりです。
一つ目は、早出残業の時間帯。タイムカードや入退館記録を示しながら、「◯月◯日は◯時◯分に出社していますね」と客観記録で確認します。記録が取れていない場合も、どうやって早出残業の情報を把握したのかを示しながら、「何時ごろに出社していますか」と聞き取ります。
二つ目は、早出残業で行っている業務内容。具体的に何の業務をしているのか、どの程度の時間をかけているのかを、本人の口から説明させます。
三つ目は、早出残業の必要性。なぜその業務を早朝に行う必要があるのか、所定終業後の残業ではなく早朝でなければならない理由は何か、を説明させます。本人の説明に嘘や矛盾があれば、それを指摘して真実に近づいていきます。
四つ目は、代替手段の有無。通常の終業後残業で対応できないか、他の社員の補充や業務分担の見直しで解消できないか、を検討します。
面談を踏まえた会社の判断
面談を経て、会社として次のいずれかの判断を下します。
一つ目は、必要性を認めて早出残業を許可する。真に早出残業が必要であれば、事前許可制の枠組みに乗せて、労働時間として扱い、残業代を適正に支払います。
二つ目は、必要性は認めるが別の方法で対応する。業務量の調整、他の社員の補充、業務分担の見直し、通常の終業後残業への振替などで対処します。
三つ目は、必要性を認めずに早出残業を禁止する。本人の主張する必要性に合理性がない場合、会社として早出残業を禁止し、所定始業時刻までは出社しないよう指示します。
最も避けるべきは、判断を示さないまま放置することです。いずれの方向に判断するにしても、会社として明確に方針を示すことが、黙認と評価されないための必要条件です。
面談による業務内容と必要性の確認
無許可残業・勝手な早出残業・理由不明な残業のいずれの類型でも、対応の中核は面談による業務内容と必要性の確認です。面談の質が、その後の対応の質を決定します。
面談の基本構造
面談は、日常業務の合間に立ち話として行うべきではありません。会議室などの落ち着いた場所で、経営者・管理職と本人が一対一または少人数で対面する形が基本です。
面談の冒頭では、「最近、残業時間が増えているようなので、業務の状況を確認させてください」など、目的を明確に伝えることが重要です。曖昧にして本題に入ると、本人が警戒して率直な説明をしなくなります。目的を明示した上で、事実関係と必要性を順に確認していくのが効率的です。
客観記録を示しながら聞く
面談では、タイムカード・勤怠記録・日報・業務報告書などの客観記録を手元に用意し、必要に応じて示しながら聞くのが効果的です。「先月は月◯◯時間の残業がありましたね」「◯月◯日は◯時◯分に退社されていますが、この日は何の業務をされていましたか」——このように具体的な記録を踏まえて聞くことで、本人も曖昧な説明ができなくなります。
記録なしで「最近残業多いですよね」と漠然と聞いても、本人は「それなりに忙しかったので」と抽象的に答えるだけで終わります。具体的な日付と時間を根拠に、具体的な業務内容を聞き出すのが面談の技術です。
率直に、しかし礼儀正しく
面談で最も大切な姿勢は、率直に、しかし礼儀正しく聞くことです。遠回しな表現で本題に触れないまま終わらせると、面談の目的を達成できません。一方、威圧的な口調で詰問調になると、パワハラと受け取られるリスクがあります。この両面のバランスが必要です。
「どうしてそうなっているのですか」「なぜ今日中にやらなければならないのですか」「明日に回すと何が困りますか」——このような率直な質問を、冷静なトーンで投げかけます。経営者として立場は上であっても、人格的な尊重は崩さない。これが実務で機能する面談のスタイルです。
本人の説明の合理性を吟味する
本人が業務内容と必要性を説明した後、その説明の合理性を吟味することが重要です。他の社員は所定時間内に同じ業務を終えているのに、その社員だけが長時間を要する理由は何か。明日に回せる業務ではないのか。業務手順を見直せば効率化できるのではないか。このような問いを重ねて、説明の妥当性を検証します。
本人の説明が合理的であれば、業務量の調整、他の社員の補充、業務分担の見直しを会社として検討します。説明が合理性を欠く場合は、残業を認めない方針を伝え、退出を促す方向に進めます。本人が本当に頑張って必要な仕事をしているのか、単に残業代目的なのか、判断を避けずに向き合うのが経営者の責務です。
面談内容の記録化
面談の内容は、必ず記録として残します。面談記録シート、メモ書き、面談後の事実確認メールなど、形式は問いません。「◯月◯日に面談を実施。本人から業務量が多い旨の説明があったが、客観的には他の社員と同等。翌日に回せる業務との指摘に対し、本人も同意」——このような記録が、後の残業代紛争での反論材料となります。
記録には、本人の説明内容、会社としての判断、今後の方針(残業を許可するか/しないか、代替策は何か)を明記します。可能であれば、本人にも記録の内容を確認してもらい、認識のズレがないことを確かめておくと、後の紛争で「そんな面談はなかった」と言われにくくなります。
理由不明な残業はマネジメントの不全
「仕事量は少ないはずなのに、特定の社員だけ毎月30時間以上の残業が続く」——経営者から見て最も不審感を抱きやすいパターンですが、実はこの状況はマネジメントの不全を示すサインです。
なぜ理由がわからないのか
本来、残業を必要とするかどうかは会社(雇用主)が判断する事柄です。ある程度の規模の会社では、その判断権が上司や管理職に委譲されていますが、残業の必要性を判断し、残業を指示するのは管理する側の役割であり、残業するかどうかを働く側が決めるものではありません。
したがって、「残業する理由がわからない」という状況が生じていること自体が、残業の必要性を判断する仕組みが機能していない証拠なのです。上司が本人の業務状況を把握していない、残業の必要性を確認する会話がない、本人の裁量に任せ切りになっている——このいずれかに該当している状態と言えます。
「裁量に任せている」の落とし穴
「いちいち残業の可否を確認していては本人のやる気を削ぐので、本人の裁量に任せている」という運用は、一見すると働きやすい社風に見えます。実際、ホワイトな会社の多くでこのような運用がなされていることもあります。
ところが、本人が裁量に任されていることを残業代稼ぎの機会として悪用し始めると、会社にとっては管理不能な状態になります。仕事量が少ないのに残業時間が長い、という不審な状況が発生した段階で、その社員については裁量を引き上げる必要があるのです。
裁量を与えるかどうかは、全社員に一律である必要はありません。信頼できる社員には裁量を残し、疑わしい行動が見られる社員からは裁量を制限する、というメリハリのある運用が実務的です。「本人の裁量」と「会社の管理」のバランスを、個別に判断する視点が求められます。
対処の基本:調査→判断→指示
理由不明な残業が生じている場合の基本的な対処は、極めてシンプルです。
まずは調査。本人との面談、業務内容の棚卸し、他の社員との比較、タイムカード・日報の精査。これで残業の実態を把握します。
次に判断。調査の結果、残業が必要と認められる場合は許可して残業代を支払う。必要性が認められない場合は禁止する。
最後に指示。判断結果を本人に明確に伝え、行動変化を求める。必要に応じて退出指示や残業禁止命令まで進める。
この流れ自体は、難しいものではありません。難しいのは、経営者が「調査して判断する」という踏み込みを、本気で実行する決意を固めることです。この決意さえあれば、手段は必ず見つかります。
残業は例外であり、権利ではない
本ページで扱う三類型に共通する根本的な誤解は、残業を「当然に行うもの」「働く側の権利」として扱ってしまうことです。この誤解を解くことが、問題解決の前提となります。
労働基準法上の原則:所定労働時間が原則
労働基準法第32条は、1週間40時間、1日8時間を法定労働時間と定め、これを超える労働を例外的に認める仕組みをとっています。労働時間の原則は所定労働時間内での就労であり、残業(時間外労働)は、業務上の必要がある場合に会社と労働者の過半数代表との間で36協定を締結した上で、法定上限の範囲内で行うという例外扱いです。
このように、残業は法的に「例外」と位置付けられています。会社経営者が「所定労働時間内で業務を終えて退社するのが原則で、残業は例外」という認識を持つことが、労働時間管理の出発点です。
残業させるかどうかは会社が決める
残業させるか否かの判断は、会社(使用者)が行うのが労働契約の基本構造です。労働契約は、労働者が会社の指揮命令下で労務を提供し、対価として賃金を受け取る関係です。何を、いつ、どのように、どれくらいの時間行うかの基本設計は、会社が決める事柄です。
ある程度規模の大きい会社では、この判断権限が上司や管理職に委譲されています。ただし、委譲されているのはあくまで判断権限であって、判断主体の原則が変わるわけではありません。残業するかどうかを決めるのは、働く側ではなく、管理する側なのです。
残業の必要性判断を、本人の裁量に全面的に任せ切っている会社は、この基本構造から乖離した運用をしていることになります。結果として、無駄な残業が止まらない、残業代が膨らむ、健康被害のリスクが蓄積する、といった問題を抱えることになるのです。
残業は「権利」ではなく、むしろ「義務」に近い
会社側から見ると、「残業をしたい社員には残業代を払っているのだから、残業は本人の権利だ」という発想が浮かぶことがあります。これは誤解です。
働く側の本来的な立場から見れば、所定労働時間内で仕事を終えて、同じ給料で早く帰る方が得です。残業は、会社の業務上の必要性に応えるために行う、いわば義務に近い行為です。本人の希望で勝手に行うものではなく、会社が必要と認めたときに応える類のものなのです。
したがって、会社経営者が「残業するかどうか会社が決める」という姿勢で臨んでも、それは本人の権利侵害ではありません。むしろ、会社としての正当な労働時間管理の行使です。「残業をさせない」という指示は、遠慮すべき事柄ではなく、経営者の本来的な権限なのだということを、腹の底から理解しておく必要があります。
健康管理と残業管理の一体性
会社は、労働契約法第5条により、労働者の生命・身体の安全を確保する配慮義務(安全配慮義務)を負います。長時間労働は健康リスクを高めるため、残業を適切に管理することは、同時に社員の健康を守る責務でもあります。
本人が「残業したい」と言っていたとしても、健康を害するほどの長時間労働を会社が放置することは許されません。本人の希望より会社の責務が優先される領域であり、長時間労働を止めることは、本人のためでもあるという視点を持ちましょう。事業主として独立したいのであれば、それは雇用契約ではなく別の選択肢です。
事前許可制を実効化する運用フロー
事前許可制を実効化するためには、制度の存在だけでなく、日常的な運用フローが機能している必要があります。ここでは、実効的な運用のための具体的な手順を示します。
ステップ1:申請フォーマットと許可手続の整備
残業の事前申請には、申請フォーマットを用意します。紙の申請書、メール形式、勤怠システム内の申請機能など、形式は会社の実情に合わせて選びます。重要なのは、次の項目が記載される構造になっていることです。
申請者氏名、申請日、残業を行う日、予定残業時間、残業が必要な理由(具体的業務内容)、承認者(上司・管理職)の欄、承認日時、以上です。許可権者は、申請内容を確認し、業務上の必要性を判断して承認または否認します。
ステップ2:無許可残業の発見と対応
タイムカード、勤怠システム、日報、入退館記録などを定期的にチェックし、申請のない残業が発生していないかを確認します。発見した場合は、速やかに本人に事情を聞き、必要性があれば事後的に許可申請を提出させ、必要性がなければ「今後は申請のない残業は認めない」旨を明確に伝えます。
この「発見→確認→方針の明示」という一連の動作が、黙認を防ぐ最大のポイントです。発見しても何もしなければ、その残業は黙示の残業命令があったと評価される方向に働きます。
ステップ3:記録の照合と精査
月次で、許可された残業申請と実際のタイムカード・日報の記録を照合します。申請と実績に大きなズレがある場合(申請した時間より大幅に長い残業、申請のない残業)は、原因を確認します。
この照合作業を怠ると、事前許可制が形だけの制度になります。「制度はあるが、誰もチェックしていない」という状態を放置すると、裁判所は事前許可制を実質的に機能していないものとして扱い、残業代請求を認める方向に傾きます。
ステップ4:繰り返し違反への段階的処分
無許可残業を繰り返す社員に対しては、段階的な注意指導を実施します。一回目は口頭注意、二回目は書面注意、三回目は懲戒処分の検討、といった段階的な対応を、就業規則に基づいて行います。
処分は必ず記録として残します。注意指導の記録が蓄積されていることは、後の残業代請求や懲戒処分の有効性を争う局面で、会社側の主張を裏付ける決定的な証拠となります。
ステップ5:制度の定期見直し
年に一度など定期的に、事前許可制の運用状況を経営層で見直す機会を設けます。運用が形骸化していないか、申請・許可・記録のフローがきちんと回っているか、問題社員への対応が停滞していないか——これらを点検し、必要に応じて運用ルールを修正します。
制度は作ったら終わりではなく、運用しながら継続的に改善していくものです。PDCAを回せる会社が、残業代紛争に強い会社です。
繁雑すぎる場合の検討
事前許可制の運用が煩雑すぎて、現場が回らないと感じる会社もあるかもしれません。その場合、事前許可制は自社に向いていない可能性があります。事前許可制を採用するのであれば、運用までセットで実行する覚悟が必要です。運用が追いつかないのであれば、別の方式(固定残業代の導入、裁量労働制の検討、業務プロセスの改善等)を検討する方が現実的です。
「制度はあるが運用できていない」状態が最悪の結末を招くため、制度の選択自体を会社の実情に合わせるという視点も重要です。
当事務所のサポート体制
弁護士法人四谷麹町法律事務所は、会社側(使用者側)専門の法律事務所として、事前許可制の運用支援、無許可残業への対応、勝手な早出残業の止め方、理由不明な残業の原因特定まで、残業代管理の実務相談に応じてまいりました。代表弁護士の藤田進太郎は、経営法曹会議所属で、中小企業経営者からの具体的な相談を数多く取り扱っています。
事前許可制の設計・運用支援:事前許可制の新規導入、既存制度の見直し、申請フォーマットの整備、運用フローの構築を支援します。就業規則・賃金規程への反映まで一貫してサポート可能です。
個別社員への対応助言:特定の社員による無許可残業、勝手な早出残業、理由不明な残業について、面談の進め方、質問の仕方、記録化のポイント、退出指示や残業禁止命令の判断など、ケースごとの具体的助言を提供します。
退職後の残業代請求への対応:退職者から無許可残業に関する残業代請求が届いた場合、会社側として取るべき初動対応、示談交渉、労働審判・訴訟対応までを一貫して担います。詳細は残業代請求対応の総合解説をご参照ください。
労務管理体制の監査:事前許可制が形骸化していないか、運用記録が揃っているか、就業規則や36協定が最新法令に適合しているかを、年次監査形式で継続点検するサービスも提供しています。
事前許可制があるのに無許可残業が止まらない、勝手な早出残業をされて困っている、理由不明な残業に悩んでいる——気づいた時点で早めのご相談が、退職後の残業代請求を予防する最善の道です。ご連絡をお待ちしております。
事前許可制の運用・残業管理でお悩みの会社経営者の皆様へ
制度はあるのに運用できていない、気になる社員がいるが踏み込めない——そのような段階こそ、早期ご相談のタイミングです。経営労働相談までご連絡ください。
よくあるご質問
Q. 残業の事前許可制を採用していれば、無許可残業には残業代を払わなくてよいのですか。
単純にそう言えないケースが多数です。事前許可制という制度があっても、無許可残業を上司が黙認している、タイムカード等で把握できる状態なのに対応していない、といった運用実態があれば、「黙示の残業命令があった」と評価されて残業代の支払義務が生じます。制度だけでなく、発見・確認・方針明示まで運用で回っていることが必要です。
Q. 退職した社員から、無許可だったはずの残業分の残業代を請求されました。払う必要がありますか。
会社側に記録(タイムカード、日報等)があり、無許可残業を把握できる状態だった場合、「黙認していた」と評価されて残業代の支払が必要となる可能性が高いです。2020年労基法改正で時効は3年に延長されており、3年分を一括請求されると高額になります。内容証明到達後は速やかに会社側専門弁護士にご相談ください。
Q. 「仕事が忙しい」と言って勝手に早出残業する社員にはどう対応すべきですか。
まず面談を実施し、早出残業の時間帯、業務内容、必要性を確認します。本人の説明を踏まえて、会社として許可するか・代替手段で対応するか・禁止するか、明確に方針を示します。放置は最も避けるべき選択で、「会社が黙認していた」と評価される方向に働きます。
Q. 仕事量は多くないはずなのに毎月30時間残業する社員がいます。残業代目的でしょうか。
その可能性はありますが、対話で原因を特定するまで断定は危険です。実は仕事量が増えている、他メンバーの負担が寄っている、処理能力が低下している、など他の原因もあり得ます。会議室で面談し、客観記録を示しながら具体的な業務内容と必要性を聞き取り、原因を特定した上で対応を判断してください。
Q. 面談で本人に残業の必要性を説明させるというのは、パワハラにならないでしょうか。
業務上の合理的な範囲で行う面談は、パワハラにはあたりません。ただし威圧的な口調、一方的な詰問、人格否定的な発言などは避ける必要があります。率直に聞く姿勢と礼儀正しい態度を両立させることがポイントです。不安であれば面談の進行を事前に弁護士と確認することをおすすめします。
Q. 本人の裁量に任せる方式の方が、働きやすい社風になるのではないですか。
信頼できる社員には裁量を残し、疑わしい行動が見られる社員には裁量を引き上げる、というメリハリある運用が実務的です。全員一律の裁量制は、悪用する社員が現れた場合に管理不能となります。仕事量が少ないのに残業が続くなど不審な状況が生じたら、その社員については個別に裁量を制限して会社の管理下に戻すのが適切です。
Q. 事前許可制の運用が煩雑で現場が回りません。どうすべきですか。
運用が追いつかないのであれば、事前許可制は自社に向いていない可能性があります。固定残業代の導入、裁量労働制の検討、業務プロセス改善など、別の方式を検討する方が現実的です。「制度はあるが運用できていない」状態が最悪の結末を招くため、制度の選択自体を会社の実情に合わせる視点が重要です。会社側専門弁護士に相談しながら、最適な制度設計を検討してください。
Q. 無許可残業を繰り返す社員に懲戒処分を下したいのですが、どのように進めればよいですか。
いきなりの懲戒処分は不当処分として争われるリスクがあります。一回目は口頭注意、二回目は書面注意、三回目は懲戒処分の検討、という段階的な注意指導を就業規則に基づいて実施し、記録を蓄積した上で懲戒処分に進むのが基本です。記録は後の紛争で会社の主張を裏付ける決定的証拠となるため、面倒でも必ず残してください。
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