労働問題130 退職届の撤回はいつまで可能か——合意退職が成立する「決裁」のタイミングと撤回リスクの遮断法【会社側弁護士が解説】
退職勧奨をかけてようやく社員が退職届を提出した。そう安堵した経営者が、翌朝「やはり撤回します」と言われて混乱するケースは実務上珍しくありません。退職届を受け取ったからといって、法的な退職が確定したわけではないのです。
退職届は、法的には「合意退職の申込み」にすぎません。会社側が「承諾」するまでは、原則として撤回が可能とされています(最高裁大二小判昭和51年6月15日等)。この「承諾」がいつ、誰によって行われるのかを正確に理解しなければ、退職をめぐるトラブルは防げません。本稿では、合意退職が確定する「承諾」のタイミング、撤回が封じられる「特段の事情」、そして会社側が実務で行うべきリスク回避策を、使用者側専門の弁護士が解説します。
01合意退職における「申込み」と「承諾」のプロセス
退職勧奨を受けた社員が提出する退職届は、法的には「合意退職の申込み」としての性質を持ちます。合意退職は契約の一種であるため、会社側がこれを受け入れる「承諾」を行って初めて、法的に退職が確定します。
この「承諾」がなされるまでの間は、契約がまだ成立していない状態であるため、社員は原則として申込みを取り消す(撤回する)ことができると解されています。したがって、退職届を受け取っただけでは退職は確定しておらず、「退職届をもらって安心」という認識は危険です。
02誰が「承諾」すれば撤回できなくなるのか
実務上最も重要なのが「誰の、どのタイミングでの判断が『承諾』になるのか」という点です。裁判例では、単に直属の上司が退職届を預かっただけでは承諾とはみなされません。「社員の退職に関する決裁権限を有する者(人事部長・役員・代表取締役など)」が退職を認める意思決定をした時点で初めて承諾の効力が発生します。
さらに、決裁権限者が社内で承認印を押しただけでは不十分な場合があります。その承諾の意思表示が書面や口頭で社員に伝えられた(到達した)瞬間に合意が成立し、撤回が封じられるというのが実務上のスタンダードな解釈です。この「通知の到達」まで完了してはじめて、退職が法的に確定します。
03撤回が認められない「特段の事情」とは
原則として撤回が可能といっても、民法上の信義則に反するような「特段の事情」がある場合には、会社側は撤回を拒否することができます。後任者の採用が確定している場合として、退職を信じて既に多額のコストをかけ新しい社員を採用してしまった場合は、信義則上の撤回が認められにくくなります。重要なプロジェクトの体制変更が完了した場合として、退職を前提に組織再編や取引先との調整を完了させてしまった場合も同様です。
また、執拗な嫌がらせ目的として、撤回と提出を繰り返すなど会社を混乱させる意図が明らかな場合は、撤回が権利濫用として封じられる余地があります。ただし、裁判所は社員の職業選択の自由を重く見る傾向にあり、単に「業務が忙しくなる」程度の理由では特段の事情とは認められにくいのが実情です。会社側が特段の事情を主張するには、退職を信頼したことによる具体的な損失や準備行為を証拠で示す必要があります。
04経営者が取るべきリスク回避策
退職勧奨を経てようやく社員が退職に応じたにもかかわらず、土壇場で撤回されることは会社にとって大きな損失です。以下の実務対応を徹底することで、撤回リスクを法的に遮断できます。
①速やかな決裁として、退職届を受領したら直ちに決裁権限者の承認を得ます。上司の机の中で留め置かれたままでは、その期間中は撤回が可能な状態が続きます。②「退職承諾書」の即日交付として、「○月○日付の退職申込みを承諾しました」という書面を即日交付します。これにより法的な「合意成立」の時点を明確に固定でき、撤回を封じることができます。③合意退職書の活用として、単なる退職届ではなく、会社と社員の連名で「合意退職書」を作成し、その場で双方が署名捺印すれば、その瞬間に契約が成立し撤回の余地をほぼなくすことが可能です。④弁護士によるひな型の整備として、退職承諾書・合意退職書のひな型を使用者側弁護士と事前に準備しておくことで、退職届受領後の迅速な対応が可能となります。
05退職届を受け取った際の実務チェックリスト
退職届を受領した時点から合意退職確定までのフローを整理します。Step 1として、即日、決裁権限者に回付します。上司や担当者の手元で留め置かないことが重要です。Step 2として、決裁権限者が承認します。承認日時を記録として残します。Step 3として、退職承諾書を作成し、社員に交付(または送付)します。口頭だけでなく必ず書面で行います。Step 4として、交付の事実(到達)を記録します。手交の場合は受領確認書、郵送の場合は配達記録を保存します。Step 5として、合意退職書(双方署名)があれば、Step 2〜4と同時に完結します。
このフローを退職届受領当日中に完了させることが、撤回リスクを遮断する最も確実な方法です。労働問題に強い使用者側弁護士への相談は、こうした実務体制の整備においても有益です。
監修者
弁護士法人四谷麹町法律事務所 代表弁護士 藤田 進太郎
東京大学法学部卒業。2003年弁護士登録。日本弁護士連合会会員労働法制委員会委員・事務局次長・最高裁行政局との労働審判制度に関する協議会協議員、第一東京弁護士会労働法制委員会委員・研修部会副部会長、経営法曹会議会員・第112回経団連労働法フォーラム報告担当者、労働審判員連絡協議会特別会員、日本労働法学会会員、東京麹町ロータリークラブ会員・2023-24年度幹事。
講演・著作 / 「会社経営者のための問題社員対応講座」(YouTube)
日本全国各地の会社経営者の皆様へ
弁護士法人四谷麹町法律事務所代表弁護士の藤田進太郎です。私は、労働問題のストレスから会社経営者の皆様を解放したいという強い思いを持っており、日本全国各地の会社経営者のために、問題社員、退職勧奨、労働審判、残業代トラブルなどの労働問題の予防解決に当たっています。退職届の撤回リスク・合意退職の確定手続きでお悩みでしたら、弁護士法人四谷麹町法律事務所にご相談ください。事務所会議室での経営労働相談のほか、ZoomやTeamsでのオンライン経営労働相談を実施しています。
FAQよくある質問
Q1. 直属の上司が退職届を預かった時点で、退職は確定しますか?
確定しません。退職の承諾は決裁権限を持つ者(人事部長・役員・代表取締役等)が行う必要があります。直属の上司による受領は「承諾」ではなく、その時点では社員による撤回が原則として可能です。退職届受領後は速やかに決裁権限者に回付してください。
Q2. 退職承諾書は書面で交付しなければなりませんか?
法律上は口頭でも承諾の効力は生じますが、後の争いを防ぐために必ず書面で交付し、交付した事実(到達)を記録として残すことを強くお勧めします。口頭のみの承諾では「いつ到達したか」が争点となり、撤回の可否をめぐる紛争が長期化するリスクがあります。
Q3. 社員が退職届を撤回してきた場合、会社はどう対応すればよいですか?
退職承諾書をすでに交付している場合は、合意は成立しており撤回は法的に無効である旨を書面で伝えてください。まだ承諾通知を出していない場合は、早急に決裁を完了させ退職承諾書を交付することが優先です。対応に迷う場合は即座に使用者側弁護士に相談することをお勧めします。
Q4. 「合意退職書」と「退職届+退職承諾書」では、どちらが安全ですか?
「合意退職書(双方署名)」の方が確実性が高いといえます。退職届と退職承諾書の二段階方式では、退職届を受け取ってから承諾書を交付するまでの時間的空白が生じます。これに対し、合意退職書は双方が同時に署名することで、その場で合意が成立し撤回の余地が最小化されます。
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最終更新日:2026年5月10日